【 猫になる方法を教えて 】

聴き終えたCDを取り出してケースへと仕舞った。
その間も、男は隣で不埒な行為を続けていた。
楽しそうな様子に思わず眉を顰めてしまう。
「あのさ、いい加減この手をどけろって」
言っても無駄なのは分かっていたけれど、それでも言わずにはいられない。
「何か問題でもあるのか、秋信」
シレっと問うてくる間も、その邪な手の動きは止まらない。
いっそ感心するべきだろうか。

問題ありありだけれど、それを口にしたら最後、また昨日のようにもっと酷い目に遭うのは間違いなかった。
「いや、問題はないけどさ。・・・っ・・・、ゃっ・・・だっ。 た、頼むからさ、普通に、普通にしようよ」
腰を大きな掌で撫でられ、ゾクゾクと何ともいえないモノが背中を走り抜ける。
「普通にしているだろう? おかしなことを言うヤツだな」
昨日、あれほど眠いと訴えたのに、この男によって眠ることを許されなかった。
お陰で眠くてしょうがないっていうのに。
せめて、男が音楽を楽しんでる間だけでも眠ろうと目を瞑った途端、この男は僕に手を伸ばしてきた。
一緒のソファに座っていたのに、わざわざ僕を自分の膝に抱き上げ、胸元に背を持たれるように身体を傾けさせて。

こんな状態でまともに眠れる筈もなかった。
2枚目のCDが終わってもなお寝ることが出来ないなんて。
(うぅ、眠いよ~~)
恨めしくて少しだけ睨むように視線を向けると、バッチリと目が合ってしまった。
「何だ、その目は?」
ほんの僅かだけれど、男が目をキラリと光らせた気がして僕は慌てた。
「な、何でもないよっ。目が合っただけだって」
「ほう」
男は気のない言葉を吐くと、リモコンを手に取りデッキの電源を切った。
読みかけの雑誌をテーブルに置くと、膝から下りようと焦る僕をあっさりと太い腕の中に捕まえてしまう。
「な、何? 僕、ちょっとトイレに・・・」
危険を察知し、どうにかして男の傍から離れようとしたのに、男がニヤリと笑ってくる。
「眠いんだろう? それならそうと言えばいいだろうに、何を遠慮しているんだ」
楽しげな言葉が僕の耳元へと囁かれた。
「私に眠らせて欲しいと無言のおねだりか。本当に可愛いな、秋信は」
あまりの言葉に絶句した。 けれど、自分の都合のよいようにしか判断しない男は、ここでもそれを実行に移そうとする。
「っ、ふっ、・・・んんっ、ふぁぅっ」
たっぷりと唇を奪われ、小さく開いたところに舌が入り込んでくる。
何度も繰り返し口腔を嬲られ、舌を痛いほどに巻き取られた。
その痛みで、済し崩しに行為に持ち込まれようとしていることに気付いた僕は、必死に顔を振って拒否を示し、腕を伸ばすことで男の胸を引き離そうともがいた。

息も絶え絶えになった頃、ようやく唇が離れていき、大きな男は僕から少しだけ離れてくれた。
僕の顎に手を掛けて上向かせると、面白そうに笑って言う。
「相変わらずカタイな。ここじゃ恥ずかしいか」
一瞬何のことだか分からず言葉に詰まったが、身体がふわっと浮き上がったことで男の言う意味が分かった。
「ち、違うっ! ここが嫌とか、そういうんじゃなくてっ。い、いや、そうなんだけど・・・。今回はそうじゃなくって・・・」
焦る僕を見もせずに寝室の方へと向かう男の表情は笑っていた。
(くそ~、わざと、なんだ)
夕べからの疲労と眠気に、思い切り抵抗する気力もなかった。
そんなものがあったら、とっくに男の手から逃げて何処かで眠っていただろう。
「安心しろ。今のお前に奉仕は求めないさ。・・・私が全てやってやろう」
「・・・!!」
パクパクと口を開閉する僕をチラリと見た男は、面白そうに口を歪めながら寝室の中へと入っていく。
(誰か、助けてっ。 この自分勝手な男をどうにかしてくれ~)
助けを求めるように同じ部屋にいる猫たちに目を向けるけれど、彼らは僕の方など見てはおらず身繕いに忙しそうだった。
(裏切りもの~~。いつも餌やって上げてるだろう~っ)
せめて鋭い爪でこの男を引っ掻いて欲しかったのに。
諦め切れなくて猫たちを見つめていると、何を思ったのか男が彼らを部屋の外へと追い出してしまった。
「や、だっ。・・・したくないっ、僕は眠いだけなんだっ!」
休日だというのにスーツ姿だった男は、ベッドに寝ている僕へと近付きながらネクタイを緩めて外すと、上着を脱いで椅子へと放り投げる。
「ぃや、ゃ・・・。お願い、お願いだから」
無言でベッドに乗り上げ、男が僕の上に覆い被さってくる。 唇を奪われ、濡れた舌で歯裏を何度も舐められた。
その間に、男の両手が楽しそうに僕の服を剥ぎ取っていく。
「そう怯えるな。それとも、身体が疼いてきたか?」
フルフルと顔を振って否定するけれど、男には全てお見通しのようだった。
「眠りたいんだろう? なら、私に全てを任せなさい。お前の身体のことなら私は全て知っている。どうやれば気持ちよく昇天出来るかもな」
つまり、気絶するほどの快楽を与えると男は言っているのだ。
ヒクっと身体が震え、無意識に男から身動いてしまう。
「逃げるのか? 約束はどうした?」
冷たい口調と約束という言葉が、僕から眠気を一気に奪い取っていく。
逃げようとする身体は強張り、部屋の中が静まり返った。
そうだ。僕はこの男と約束したじゃないか。
妹の身代わりとなり、彼に償うと。


この男、杉田 司は僕の妹の婚約者だった。 つい、三ヶ月前までは。
親が決めた相手とはいえ、十五も年上の男との結婚は嫌だったのだろう。
妹は、貧乏だが自分を愛してくれる同い年の恋人を説き伏せ、駆け落ちしてしまった。
驚愕し焦ったのは僕の両親だ。何と言っても、会社絡みの婚約なのだから。
両親と共に謝りに向かった僕を、何故だか司さんが気に入り、指名してきたことで何とか今も両親の会社は存続することが出来ている。
そう、妹の代わりに、僕が婚約者となって司さんと同居するという約束で。
彼が提示してきたシナリオに従い、結婚式までの半年、このホテルのペントハウスで僕と司さんは共に暮らすことになった。
そして、結婚式の一ヶ月前になったら、互いに同意の上で婚約を破棄したことを世間に公表する手筈になっている。
男の僕が身代わりになるのなら、その犠牲に対して両親の会社との契約を続けてもいいと冷たく言い放った司さんが怖かった。
けれども同時に、これは僕にしか出来ないことも分かっていた。
実の妹の身勝手さによって、この先の司さんの将来図が崩れたのだ。
彼はまた新たな伴侶を選び直すしかない。
結婚するつもりで新居を建てていると聞いていた。
家具も全て買い揃え、花嫁と共に運ばれる予定だったと。

困惑する両親を、一緒に同居して世話をするだけだから大丈夫だと説き伏せ、僕はこのホテルにやって来た。
勿論、司さんがそんな甘くないことも本能で知っていたけれど、他に償う方法がない。
初日から身体を奪われ、数週間も辛い日々が続いた。
今のように軽口を叩けるようになったのは、司さんが飼い猫だという3匹の猫を実家から連れて来た頃だろうか。
「私の相手をする以外、お前は暇だろう。彼らの遊び相手になれ」
夜の相手をするだけで疲れて動けない僕を、彼は冷たく見下ろし、そう告げた。
酷い言葉に悲しくなったが、その通りだとベッドの上で泣くしかなかった。
せめて猫の世話ぐらい文句を付けられないように頑張ろうと、疲弊した身体を動かして彼らの相手をしていたら、或る日、高熱で倒れてしまった。

「お前は馬鹿か」
猫の相手をするだけなのに病気になってしまった僕に呆れのだろうか。
司さんは、それから暫らくの間、僕に夜の相手をするよう求めなかった。
それどころか僕の着替えを手伝ったり、食事の世話をしてくれるなど驚きの連続で、ぶっきら棒で言葉少なだけれど、実は親切で優しい人なのかもしれないと思うようになっていった。
大丈夫だからと動こうとする僕と何度か言い合いになり、その度に司さんは僕の腕に猫たちを押し付けては相手をしてやれと命令してきた。
それも彼の優しさの一つなのだろう。
フラ付くことなく動けるようになると夜の行為は再開されたけれど、前のように毎晩激しく抱かれることはなかった。
ただ、週末だけは鬱憤を晴らすかのように激しく求められるので、もう終わって下さい、と何度も訴えるのが常だった。

普段と変わらず僕の身体に小さな疼きを与えて満足していた司さんを、僕は自分から煽ってしまったらしい。
時々、今日のように司さんの嗜虐心を自ら呼び覚ますようなことをしてしまう。
一体、どれが彼の地雷なのか。まだまだ僕には分からなかった。
あと数ヶ月。一緒に居られるのはそれだけだ。
その僅かな時間で、僕と司さんの間に何らかの理解と信頼が出来得るだろうか。


僕の上に覆い被さり、下半身を甚振る彼の手の動きに思考を集中する。
見た目と裏腹に結構エロいことを仕掛ける司さんが可愛かった。
何故だか、彼が望むような反応を返したいと思うほどに。
知らず微笑んでいたのだろう。僕を訝しそうに見つめる司さんが愛おしくて。
両腕を彼の首へと伸ばし、ゆうるりと巻き付けていく。離れたくないと言うかのように。
「どうした?」
嫌がっていた僕の態度を不審に思ったのだろう。
彼の掠れた問い掛けに首を振ると、黙って目を閉じた。
その濡れた唇が僕に下りてくることを確信しながら。

「にゃぁ~」
猫たちが扉の外で鳴いているのが聞こえた。
(ごめんね。もう少しだけ待ってて)
きっといつものように司さんが僕のところへ連れて来てくれるだろう。
あんなに鬼畜なことを平気でしてくるくせに。
彼は、身動きの取れないほど疲弊してしまう僕を見下ろすと、猫たちをベッドの上へ乗せることで機嫌を取ろうとするのだ。
可愛くて綺麗な猫たちに心休まり、自然に眠くなる僕を優しい目で見つめてくるのだが、それはそれでやっぱりずるいような気がするのだ。
何がずるいのか自分でも分からないけれど。

水皿と餌。猫が喜ぶ玩具。
司さんは猫たちに興味がないようでいて、実は結構可愛がっていた。
僕もそんな存在になれないだろうか。
女性の代わりになれるとは思わない。でも・・・。
猫と同じ立ち位置なら、許してはもらえないかな。
必ずやってくる別れの時間。
妹の償いの筈だったのに、今では自分の意思で彼の傍に居たいと思っている。
どうやったら、彼に迷惑を掛けずに一緒に居られる?
少しでも司さんの心を癒せる存在になりたかった。
そう、この猫たちのように。

司さんが置いていった猫たちは、僕の傍で気ままに遊びまわっている。
僕の心を和ませる可愛さを充分に発揮しながら。
「ねえ、どうやったら君たちみたいになれるかな」
愚かな、けれど真剣な問いを猫たちにそっと呟いてみた。
決して彼の前では言えない願いを。
「にゃぁ?」
馬鹿じゃない? そう告げるように猫たちは僕を一度だけ振り返ると、何もなかったかの如くベッドを下りると、部屋を出て行ってしまう。
「そう、だね。確かに猫になりたいなんて馬鹿だよね」
自分に言い聞かせるように呟くと、僕は毛布を引き寄せて頭から被った。
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