【 斡旋飼育 】 初出-2009.06.22
大学の地下施設で極秘裏に行われている人身売買の話
麗らかな日差しの気持ちが良い午後だった。
大学の中庭では大勢の若者たちが集まり、穏やかに語り合っている。
誰も彼もが明るい未来を描いているとは言えなかったが、少なくとも今現在は青春を謳歌しているようだ。
そんな構内の一画で、ある過酷な仕打ちを受けている若者が十数人いた。
いろいろな手段で連れ去られて来た彼らには、決して明るい未来は訪れないだろう。
今日もまた、秘密裏に作られた地下牢に入れられ、捕食者に囚われた獲物さながらに地獄のような調教が強引に行われていた。
これまで逃亡する者は一人も居なかったが、調教中や斡旋という名の購入先では何人もの若者がこの世から去っている。
始まりはよくある話で、大学の借金と予算が足りないことに危機感を覚えたトップが、簡単に大金を手に入れたい、と呟いたことによるらしい。
別の手段を考えればいいものを、なまじ頭もよくて知人友人が多かった理事たちが簡単に組織を作ってしまった。
依頼者には警察関係のOBや議員まで居たから、例え逃亡されてもすぐに捕まって始末出来るメリットはあったが、同時に弱みを握られているのも事実だった。
あくまでこの大学に在籍する少女と少年だけを扱っていたが、世間は狭い範囲で繋がっているもので、他にも幾つかの組織と連携が取れるようになっている。
捕まったら一網打尽であり、当然、この組織のトップも我が身可愛さに告げ口する気満々である。
数年で借金はなくなり、予算も何とかなる目途がついたものの、止めようと思う毎に次の依頼が入って来ていた。
「いいじゃないか、俺の依頼を受けてからで。あんたにはかなりの融通をしてやったろうが。忘れちゃいまい?」
訪れる客は皆、敵にするには面倒な相手ばかりだった。
(誰だ、こんな横の繋がりを勝手に広げたのは)
数か月に一件だったのに、今では数週間に二件入ることもザラだったから、本当に止めるタイミングが難しいと、トップの男は呟いた。
部下達からは、あんたが首謀者なんだから決めろや、と軽く言われ続けているものの、今日も何となく止められないままに時が過ぎているのだ。
「止めたいんだよ。でもねぇ、いつそれをすればいいのかなぁ」
溜息を吐く男に部下の一人は呆れた視線を向けたが、退屈しのぎに続けている自分も同じだと分かっていたから、
「また依頼が来たんですね」
「そうなんだよ。どうしてかなぁ」
困ったね、と憂う上司に、まあ、もう少しやりますか、と了承の言葉を呟いてやったのだった。
そして今日もまた、 不憫にも目を付けられ、騙されて連れて来られた一人の若者が調教を受ける為、地下の冷たい床に蹲っていた。
全裸で蹲って泣き続けている彼は、大学生活に希望と憧れを持っていた。
義務教育とは何もかもが違う専門的知識を学び、華やかだと誰もが憧れる都会での生活を送りたかったのだろう。
貧乏で幾つものバイトを掛け持ちしていたが、学校は楽しくて苦にもならなかったようだ。
毎日は単調な中にも適度な刺激があり、あの日も普段と変わらずに大学の門を通った若者。
それなのに、どうしてこうなったのだろう、と咽び泣いている。
何をどう間違って、こんな目に遭っているのか。
冷たい床の上で、彼はずっと考え続けている。
自分が何をやったのか。一体、どんな人物が自分に目を付けたのか、と。
考えれば考えるほど、都会に出て来たことがそもそもの間違いだった、と恐怖に怯える心が囁いてくる。
「ひぐっ、・・・うっ、ううっ。・・・ひぐっ・・・、いっ、いや、いやぁ~~~~っ。怖いっ、怖いっ。・・・だ、誰かっ・・・」
初めてここへ連れて来られた時、彼は普通の若者らしい言葉遣いだった。
けれど今では矯正によって女言葉で話すようになり、考え方さえも女っぽくなるように無理強いされていた。
青年の周囲には同じ鉄格子の部屋が横並びで作られており、全ての牢に同年代の若者が入っている。
全裸にされ、首に鎖を付けられている彼らは、静かにベッドの上に座ったまま次の試練を待っているようだった。
厳しい調教を終え、誰かに売られるその瞬間に、もしかしたら逃げることが出来るのではないかと僅かな光を胸に持って。
虚ろな目の奥に、それでも生き延びたいという本能が、唯一彼らの意識を保っているのだろう。
▲
全ては10日ほど前のことだった。
青年はいつものように電車に揺られ、繁華街に着くとバスに乗り換えた。
大学までの15分間を青年は睡眠に費やすことにしており、周囲を見渡すことは一度もない。
浪人二年目でこの大学に受かり、ようやく大きな第一歩だと気負っていたのかも知れない。
まさか自分の動向を調査している人物がいたなんて、どうして考えられるだろう。
正門を通ってすぐに、ちょっと年上の学生から声を掛けられて立ち止まった。
「ねえ、そこの君。急いでるとこ悪いんだけどさぁ。さっきここで倒れた学生がいてさ。救急車を呼んだんだ」
「えっ」
いきなりの内容にびっくりして、その学生を見つめて続きを待った。
「うん、それでね。その学生が病院に運ばれる時に教科書や携帯を預かっておいたんだけどね。俺が持ってるのって変だろう? でさ、悪いと思いつつ携帯いじってさ」
矢継ぎ早に話し掛けられ、止めることも頷く暇もなかった。
「一番仲のいい奴を探したんだ。ああ、勿論、ご両親にも連絡しといたよ。当然だよね」
ここまでは理解出来たかな、と言いたげにその学生が首を傾げて見てくる。
何となくだが言っている意味は分かり、友人の誰かなんだろうなぁ、とぼんやり考えていた青年は小さく頷いた。
そうして続きを促してしまった。
「でさ、病院に行くのが先だろうから、ご両親には病院名だけを言って、携番トップに名前があった君にその学生の荷物を引き取ってもらおうと思って待ってたんだ」
最後は早口だったが言われた内容はすんなりと頭に入っていた。
(携帯番号のアドレスのトップに名前が? ・・・誰だ?)
自分の知り合いなことだけは確かなようで、早く相手を知りたいと思った。
「ほら、・・・あっち、見える? ・・・そう、あれ、あの手を振ってんの俺の友人」
指差された方向に身体を捻るようにして振り向くと、確かに男の学生が手を振っていた。
「ね、君のサークルの先輩だよ。・・・見たことない?」
知らないかと問い掛けられ、話を反芻しながら頷く。
確かに手を振っている人物が居る場所は、入ったばかりのサークルで使用している部室のようだった。
なら、そこに居るのはサークルの先輩だろうし、友人だという彼もここの学生に間違いはないのだろう、と。
大学で詐欺に遭うはずもないし、目前の人物はそれなりに良い人っぽかった。
この話に嘘はないだろう、と考えた青年は知りたいことを尋ねてみた。
「はい。・・・えっと、それで倒れたっていう彼の名前を教えてもらえますか?」
年上の学生のようだから丁寧な言葉を使うことにした青年は、持っている鞄を無意識に抱き締めていた。
「ああ、ごめん。言うの忘れてたよ。・・・何しろ初めてのことでビックリしてさ」
それは確かにそうだろう。軽く頷いていると先輩は笑顔を向けてきた。
「・・・えっと、確か、・・・山・・・山口君、だったかな。知ってる?」
山口と聞き、その容貌がすぐに浮かび上がる。
彼は青年の一つ年下で、遊びに勉強にと青春を謳歌している奴だった。
自分の知っている人物の話だと分かり、俄然信憑性が出てきた青年は、山口という名の友人について思い返してみた。
(あいつが・・・。そういえば、ここ10日ほど休んでいたよな)
気が合うから暇さえあれば遊びに出る間柄だったが、最近はバイトが忙しくてあまり遊んでいなかったことに気が付いた。
真っ青な顔になった青年を、先輩が頷きつつ背を押して促してきた。
「悪い。俺、これから抜けられない講義なんだ。急がせて悪いとは思うけど。向こうの教室に置いてるからさ。・・・頼むよ」
生暖かい他人の手で背中を押されて嫌だったが、まぁ仕方がないかと青年は歩き出した。
そこが地獄の入り口とも知らずに、親切そうな先輩に付いていくことになったのだ。
普段なら許可がないと入ることも出来ない研究棟の一画に、その建物はひっそりと建っていた。
思わずキョロキョロと見回す青年に、先輩が笑って教えてくる。
「ここは特別棟の一つだよ。・・・学長肝入りの研究をしてるんだ」
脅かすような声音に青年の背中がゾクっとした。
明るい口調から一変したそれは、嘲るような怖がらせるような低音で正直怖かった。
(何だ、コイツ。気持ち悪い)
さっきまでの優しい先輩は何処にいったんだと思う。
口の端がつり上がり、ニイっと薄笑で見てくるのが気色悪かった。
逃げるようにジリジリと下がり始めた青年の腕を凄い力で握ると、グイグイ中へと引き摺っていこうとする。
「いやだっ! やだ、はなせっ! ・・・何すんだよっ、はなせぇえええ~~~~!」
先輩はチっ、と舌打ちすると青年の口を掌で覆って来た。
「うううううぅ~~~っ。・・・んっ、んんぐぅっ。うぐっ、ん、・・・んんっ?」
息が出来ないほど強く覆われてしまい、ジタバタ抵抗する青年は建物の奥へと引き摺られ、壁にバンっと押し付けられた。
「ひぐっ。ん、んんっ。んっ、・・・ん、んん~~~~~~っ」
涙目で目前の男を睨み付けるが、逆にせせら笑うと青年の首に手を伸ばして来た。
自分とは違う大きな手が、何の躊躇もなく首を絞めようとする。
「んんんっ、んぐう、んぐぐ~~~~~っ。んぐっ、ぐっ、ぐぶう~~っ」
このままでは死ぬと本能で感じた青年は、必死になって抵抗しよとした。
(こ、殺されるっ、殺される、殺され・・・)
息が苦しくて自然に涙が出てきた。
目蓋を動かす度にぶわっとその涙が溢れそうになる。
「黙れ。俺は騒がしい奴は大嫌いなんだ。・・・いいな?」
笑って促してくる男の目は、冷酷に光っていた。
だから、青年にはガクガク首を振って大きく頷くしか選択肢はなかった。
それ以外、何が出来ただろうか。
満足気に青年を見た男は、ようやく口と首から手を離した。
「ゴフっ、ゴっ、・・・ゴフっ・・・うぐっ・・・」
いきなり新鮮な空気が与えられて、途端に青年は咳き込んでしまう。
その様子を見て笑う男の背後で、いきなり別の男の声が響いた。
「・・・おい、遅かったな。何か問題でも起きたのかよ」
ジロっと咳き込む様子を見つめて来る新たな男は、さっき窓から見えた奴のようだった。
その冷たい目は、青年を連れて来た男と良く似ており、鈍い光を放っている。
「いや、順調だ。何の問題もない」
「そうか。・・・いくぞ」
新たな男はさっさと先に立つと、一人で歩き出してしまった。
それに文句を言うこともなく、来い、と男は青年の腕を取って連れて行こうとする。
(い、いやだっ)
心の中では必死に抵抗していたが、さっきの首絞めのショックだろうか、青年にはもう一度暴れる勇気は出なかった。
やがて上部へと上る階段が見えてきた。
その脇にはエレベーターらしき扉がある。
古い建物だと思ったが、ちゃんと手を入れてあるらしい。
上に行くのかと青年が男を見上げれば、左の何も無い壁の方へと引っ張られて歩かされてしまった。
不審に思っていると、先に歩いていた男が壁の中央を指で触りだした。
(・・・何してるんだ?)
暫く待っていると、やがて、指が突起みたいなモノを摘んで引っ張っるのが分かった。
5㎝ほど引きずり出されたモノを、クルっと右に回して男が手を放した。
その瞬間。ズズっ、ズズズっと、何処からか音が聞こえて来た。
(えっ、何の音だっ)
視線だけを左右に動かして周囲を警戒する青年を置き去りに、男二人は自然体で立っている。
多分、何度も経験したことなのだろう。
それから10秒もしないうちに、急に壁の真ん中から光りが飛び出してきた。
いや、そう見えただけで、実際は壁が割れていっているようだ。
(ビ、ビックリしたぁ)
まさか壁が動くとは思わなかった。
人が入れる大きさにレーザーか何かで四角に切り取られた後、その部分が後ろに下がっていったのだ。
ほんの数秒で止まったそれは、今度は真横にスライドされて見えなくなってしまった。
新たに出現した空間を少しだけ青年が覗いてみると、下へ続く階段が繋がっているようだった。
男たちは四角形の中央を屈んで潜ると、コンクリートで出来た階段を下りようとする。
勿論、その後には強引に腕を引き摺られる青年が続いた。
暗いけれど僅かな明かりがあるらしく、階段を踏み外す心配はなかった。
▲
剥き出しの土の壁が長く続き、一分近くも下りてようやく広間に出た。
大きなテーブルが3つ。そして椅子が5脚ずつ配置してあった。
簡易の台所もあり、食器棚まで置かれていた。何故か、脇に本棚も用意されている。
一番奥のテーブルの背後にドアがあって、その柄模様からトイレだと分かった。
一人用にしては扉が大きいから、何人か入れる広さがあるのかもしれない。
手前のテーブルの左横には大きな扉があり、不透明な色ガラスが4箇所入っていた。
(ここ地下だよな。もしかしてまだ部屋があるのか)
立ち尽くす青年を余所に、男二人は楽しそうにしゃべっている。
「あれ、金助はいねえのか?」
「ああ。さっき15-Bを連れてったぜ」
「んじゃ、次は16-Aか」
「いや、18-Bを先にしろってさ。どうやら相手が催促してきたらしい」
そこで何故か互いを見つめ合う二人。
ニヤっと笑っているのが気持ち悪かった。
(何なんだよ、コイツら。薄気味悪いったらないぜ)
すっかり逃げ出すのを忘れていた青年を、クルっと振り向いた二人が同時に嘲るように笑った。
思わずビクっと背を震わせて後ろに一歩下がってしまう。
何がなんだか分からなかったけれど、本能が危険を知らせていた。
嘲りの視線を浴びせられ、また一歩後ろに下がった青年に、
「よう、23-A。この分だと、お前はあと8日で出荷のようだぜ」
「それまでに飼い主に気に入られるよう躾けてやるから安心しな」
ニタニタと気持ち悪い顔で意味不明な言葉を告げてくる二人。
何故か胸がムカムカした。多分、飼い犬のような存在に見られた気がしたからだろう。
眉を顰めたのは一瞬のこと。突然、告げられた内容を脳が急に理解してしまった。
「ひいい~~~~~~~っ!」
無意識に出た悲鳴が、おぼろげだった想像を補完していた。
(そ、それって、・・・それって、まさかっ)
絶対に違う、間違った考えだ、そう思いたかった。
安心したい一心で、こわごわと青年は口を開いた。
「・・・俺を、売るって、言うのか?」
否定して欲しかった。冗談だと。
今までのことは、劇のサークルか何かで作ったシナリオだと言って欲しい。
よく出来た作り話だと、そう言って笑って欲しかったのに。
「そうだ」
「よくわかったな、偉いぞ」
二人同時に馬鹿にしたように笑われて、その表情に今度こそ頭がパニックを起こした。
「いやだっ! いやああああああぁああああ~~~~~~~っ。い、いやだっ、いやだっ、いやぁあああ~~~~~~~!」
逃げようと階段へダッシュする青年を、二人の男は難なく捕まえてしまった。
「ひぃいいいい~~~~~~っ。いやだぁあああ~~~っ。助けてっ! 助けてっ! 助けて~~~~~っ!」
見っともないなんて微塵も考えず、青年は二人に泣き縋って助けを請うた。
だが、彼らが頷くはずもない。
一人が背後から青年の腕を取り、両腕をまとめて引っ張ると強引に立つよう促してくる。
もう一人は青年の前に回り、勢いよく腹を二度殴ってきた。
「・・・うぐっ。ぐうっ・・・。ゴ、ホッ、・・・グっ・・・うがっ・・・」
無様に倒れそうになった青年を、後ろの男がもう一度引っ張って立たせた。
「忘れるな。お前はもう商品なんだ。・・・逃げられやしない」
前に立つ男の眼がキラリと残忍に光るのが怖いのか、青年の身体はブルブルと激しく震え始めた。
そんなこと、絶対に認められない。認めたくもない。
認める訳にはいかなかった。
「い、いやだああああ~~~~っ。違うっ、違うっ、違うぅううううう~~~~~~~っ」
何度も何度も顔を振って訴える青年の耳に、優しそうな声で二人が囁いて来た。
右から、
「お嬢ちゃん。あの扉、・・・見えるだろう? あの先が今日からお前の楽しい我が家だ」
そして左から、
「お友達もいるんだぜ。予定より早めの納入になったらしいけどな。今、調教中だとさ。呼び名は15-B。後で会えるといいなぁ」
その口調と眼差しに、誰のことを示唆しているのか、そしてもう会えないのだハッキリ理解してしまった。
(・・・うそ。・・・うそ、うそだ、うそだっ)
この二人が、わざわざ青年に友達の話をする理由なんて一つしかない。
(や、山口? ・・・山口もここに居るっていうのかよっ!)
でっきりここに青年を誘い込む為の口実として、山口の名前を使ったのだと思っていたのだ。
逃げないと確信したのか腕が放された。
けれど、青年は呆然と床に座り込んで動かない。
信じたくなかったからだ。
山口の身に起こっていることも、これから自分の身に起ころうとすることも。
呆けたように座り続ける青年の背を、二人がゲシっと蹴り上げて、さっさと立つように命じてきた。
痛みに喚いていると、更に左肩を一人が思い切り蹴って来る。
これ以上の暴力を受けたくないと観念してヨロヨロと立ち上がった青年を二人が見下すように嗤う。
「さて、と」
一人が別室への扉を開けると、もう一人が背を掌で押して中へと入るよう強制した。
痛みに軋む背と肩を庇ってヨロヨロと歩き始めたけれど足が悲鳴を上げた。
どうしよも出来なくて床に座り込んでしまった青年は、ノロノロと顔を上げて周りを見渡した。
長い石の廊下を真ん中に挟み、両側に牢屋が幾つも並んでいた。
「ひいいい~~~~~~~~っ」
思わず後ずさった青年の背に男の足が当たり、ゲシっと蹴り付けられた。
「あぎいぃいいいい~~~~っ。ひいっ、ひっ、ひぎぃ~~~~っ」
恐怖に震えながら青年は男の方を振り返った。きっとその目は哀願していたに違いない。
もう蹴らないでくれ、と。許してくれ、と必死に。
そんな青年を見た二人の男は嗤い合うと、淡々と残酷な指示を出してきた。
「お嬢ちゃん。いや、23-A。ここでは商品は四つん這いで歩くんだぜ」
「なぁ、もう一度蹴ってやろうか? サンドバックになりたいっておねだりだろ?」
その言葉に背筋が凍った。
もう痛いのは嫌だと、プルプル顔を振って無意識に服従する証の格好を取る。
「いい仔だ」
「ふん、まあいい」
同時に発せられた言葉には、微妙に温度差があった。
さっきから感じていたのだが、一人は凶暴で弱い者虐めの傾向があるようだった。
言うことを聞いたら気持ちは治まるが、もっと虐めようと次を考えるタイプ。
もう一人も同じく凶暴には違いないが、大人しく聞いている分だけ優しい気がする。
擦り寄りの仕方によっては何とかなるかも知れない。
そんな卑屈な考えに青年は自己嫌悪を覚えたが、ここから逃げることが先決だと覚悟を決めた。
怯えつつも逃げる算段を必死に考えていた青年の背に、冷たい言葉が降りてきた。
「よし、次はその邪魔なもんを取ってやろう」
「それからお前のナンバー入りの首輪を付けて散歩だな」
質問したい事は色々あったが、男たちの怒気を誘うかもしれないと、ただただ黙ってじっと我慢する。
一人は広間へと戻って行くが、もう一人が青年の服に手を掛けると、ビリビリと強い力で布を裂いていった。
今度は何をされるのか、と恐怖に悲鳴を抑えることも出来ない。
「ひっ、ひぃいいいいい~~~~~~っ!」
必死で手と足を動かさないように踏ん張った。
ここで逃げ出そうものなら、この男に殺されてしまうに違いなかった。
さすがに手でズボンを裂くのは無理だったのか、男はポケットからナイフを取り出して強引に引き裂いていく。
慣れているのか、短時間で全裸にされてしまった。
肌寒さと羞恥、得体の知れない恐怖に震える青年を、男がせせら笑って見下ろしていた。
暫くして、首輪を手にしたもう一人の男が戻って来た。
幅が5cmもある紫色のそれを軽く振ると、青年の首に取り付けるモノだと笑う。
「ほら、来い。お前の首輪だ」
「良く見ておけよ。外す機会は当分先だからな」
脅しながら首輪を取り付ける男たちが怖くて、青年はひたすら目を瞑ってやり過ごそうとした。
それが気に入らなかったのか、ギュっときつく締められて大急ぎで青年は目を見開くしかなかった。
(・・・く、苦しいぃいいいいいい~~~~~~っ)
ゴフっと荒い息を吐き、口を何度も開閉させた。
その様子を見て、少しだけ優しい方の男が眉を顰めながらも穴を一つ緩めてくれる。
「ふん、似合うじゃないか。・・・ほんとの仔犬だな」
「ああ、誰だか知らんが趣味はいいな」
何の話を始めたのか分からなかった。
「・・・?」
今のはどういう意味なのか。考えたくないが不安で仕方がなかった。
勿論、彼らだけじゃないのは最初の方の会話で分かっていた。
でも、一体何人がこの地下牢に関わっているのだろう。
無事に逃げることが出来るのか、薄ら笑いの二人の男が巨大に見えて、青年の胸はギリギリと痛みを増していった。
頭上で語り合う男たちが不審げな顔をした青年に気付いたのか、ニヤニヤ笑って教えてくれた。
「何だ、気になるってか? それはな、お前の飼い主が購入したものなのさ」
「大学へ依頼が来ると、そいつのデータを収集して納品可能か調査するわけ。・・・で、お前は無事それをクリアした。良かったな」
その言葉に、全裸で震えていた青年の身体が更に激しく震え始める。
(ひいぃいいい~~っ。そ、そんな・・・)
人身売買、そんな言葉が脳裏を過ぎった。
「最初に斡旋契約書を作って、どこまで調教、もとい品物の品質を求めるか確認し合う訳だ」
楽しそうに一人が青年の顔を眺めながら囁いてきた。
「で、次に価格を交渉して互いに納得したら、大学への寄付って名目で半額前金の小切手を払って貰う」
「面白いだろ?」
より凶暴な方の男が俺に笑い掛けて来た。青年がが絶望に震えているのが楽しいのだろう。
「ま、動物による癒し研究で本物の犬もたくさん飼ってるからな。首輪を受け取っても変じゃない。ちなみに、俺はここの責任者で金太」
そう言うと、もう片方の少しだけ優しい男の方を顎で示した。
「そんでコイツが金治。他にも五人ほど学長に雇われてるバイトがいるぜ。分かってるだろうけど全員ニックネームだ」
楽しそうに告げる神経が理解出来なかったが、そもそもこの男たちはどこかオカシイに違いなかった。
研究だの本物の犬だの、どうでも良かった。
気になったのは・・・。
(が、学長が? この大学は、・・・大学で学生の斡旋を?)
普通の、いわゆる企業への優秀な学生を裏斡旋するならばまだ理解可能だった。
それが人身売買。しかも、学長のような大物の名が出たことで絶望は一層深くなる。
胸が苦しくて堪らなかった。涙が川のように頬を流れ出るのも気にならない。
「何度名乗っても陳腐な名前だぜ」
責任者といっても、互いに上下の拘りはないらしい。
妙にリラックスしている二人は、互いに遠慮がないようで青年を無視して好きなように喋り続けいた。
「しょうがねえさ。実際インパクト有り過ぎで、頭から離れねえイイ名だろう」
「まあな。・・・やっぱ、言葉遣いも躾けるか? この顔で俺ってのはなあ」
金太と呼ばれる、より凶暴な男が青年の普段の喋り方に不満を持っているような言い方をした。
「別にそれは飼い主に任せりゃいいんじゃねえの。まあ、コイツの担当はお前だから好きにしな」
「おうよ」
その言葉に青年の涙はピタっと止まった。
だが、代わりのようにヒクっと咽喉が鳴る。
恐る恐る担当だという金太を振り仰いだ。
彼は二番目に来た学生で、どちらも怖いけれどより怖く思っている方なのだ。
腹を二度殴ったのも、肩を蹴ったのもこの金太であり、同じ暴力を振るわれるならもう一人の方がマシだった。
こんな男が傍に居たら逃げる前に気力を失くしてしまうに違いない。
金太の顔を恐る恐る窺っている青年の前で尚も二人の話は続いていた。
「って訳で、23-A。言葉遣いもちゃんと躾けてやるよ。今から、私って言いな。俺なんて言葉を使ったら厳罰を与えてやる。お前は今日から牝犬だからな。・・・返事は?」
軽い口調から低音の脅すような声音に変わり、青年はヒクっと身体を震わせた。
(そんな、俺は・・・。だ、だけど、・・・この男は、怖い)
口答えすら出来ないのに逃げ出すことは出来るのだろうか。
「・・・は・・・ぃ・・・」
せめて顔は隠したくてガクっと首を落として項垂れた青年の髪を金太が掴み、ぐいっと引っ張り上げた。
「愚かなお前を躾けてやる優しい先生に挨拶しろ」
金太は片足を上げ、靴先を青年の口元へと近付けてきた。
(ま、さか、そんなっ。・・・俺は、俺は、・・・くっ・・・)
目を見開いて金太を見る怯えた青年の髪が更に強く引っ張られる。
「ひいいい~~~~っ。や、やめろっ! いたいっ、いたいぃいいいいい~~~~~っ!」
「ほら、さっさとしろよ。あと言葉に気ぃつけろ」
コンコンと硬いつま先が強く唇に当てられた。
覚悟を決めた青年は、そっと舌を伸ばすと汚れたそれに口付けた。
薄汚れた靴から、もわっと嫌な臭いが漂ってくる。
「舐めんだよ。美味そうに全体をな。・・・裏も忘れんな」
その言葉に絶望して顔を歪ませる青年を金太が無表情で見つめていた。
少しでも優しくしてもらえないかと見上げる青年を残酷に裏切り、その表情筋が動くことはなかった。
何度も何度も舌を出し入れし、ようやく舐める覚悟を決める。
(何も考えない、何も、考えない・・・)
呪文のように繰り返し、時間は掛かったが裏も綺麗に舐め尽くしていく。
はあ、はあっと舌を出して喘ぎ、涙を溢している青年の頭を金太が撫でて来た。
よくやった、というように優しく。
何故だか、更に涙が次々に溢れ出てきた。
こんなの飴と鞭の常套手段だというのに。
暫らく無言だった金太から、次の命令が与えれられた。
「おい、いつまで泣いてんだ。ほら、お前の小屋まで歩け。尻を高く上げてフリフリしながらな。・・・これは犬の基本だ。お前の飼い主に良く見えるように、喜ばれるように常に意識を尻に集中しな」
酷い言葉に、もう諦めて乾いたはずの心が悲鳴を上げた。
(ひいぃいいい~~~~~っ! い、嫌だっ、嫌だっ。・・・誰か、助けてくれっ)
思いとは裏腹に恐怖に後押しされた身体は望まぬ姿勢を取ってしまう。
促された方向へ、一歩一歩ゆっくりと進んで行くのだ。
言われた通り、尻を大きく振りながら。
青年は、絶望しか感じない冷たい石の廊下を、ボロボロの涙で顔をくちゃらせて歩いて行った。
▲
両側の牢屋には、青年と同じ格好の若者が何人も入っていた。
彼らは、一度もこっちを見ようとはしない。
でも耳を塞いでいるのでも、目を瞑っているわけでもなかった。
廊下側、つまり青年が歩いている方へと尻を掲げてベッドに座っているのだ。
見たくないのに、絶対に見たくないのに。
こんな現実、知りたくなかったのに。
一度も考えたことのない地獄がそこに展開していた。
彼らの尻には棒のようなモノが入っており、それが振動しているのが分かってしまう。
(アレを、・・・あんなのを俺の尻にも?)
バイブなんてモノ見たくなかったのに。
この後、自分の身に起こることが簡単に想像出来てしまう。
「いひぃいいいいいい~~~~~~っ! い、やだっ、嫌だぁあああああ~~~~~~~~っ」
それに気付いた瞬間、青年の足取りは遅くなり、やがて恐怖に叫ぶ為に完全に止まってしまった。
ブルブルと震える身体を両腕で抱き締める。
出来るならば今見た記憶を消したかった。
自分の殻に閉じこもりそうになっていた青年の尻を、金太の手がパンっと思い切り叩いて矯正しようとする。
「あぎぃいい~~~~~~~~っ! いたいっ、いたいぃいいいいいいい~~~~~っ!」
「さっさと歩け、このクズが。アイツらは飼い主の為に尻を拡張してるだけだ。勿論、今夜からお前にもやってもらうから楽しみにしとけ」
ワザと怖がらせようとする男の顔が迫って来て、慌てて四つん這いに戻った。
(いやだぁああああ~~~~~~っ。いやだ、いやっ、助けてくれ、助けて・・・)
歩きたくない。走って逃げたい。あの元の明るい世界に。
今すぐに夢から覚めたかった。こんなのはオカシイ。絶対にオカシイ。そればかりが頭をグルグルと回っている。
けれど身体はこれが現実だと教えるように、手足を動かし続けた。
また止まったら仕置きだと叩かれ蹴られてしまう、それが怖いと訴えるように。
「ヒクっ、ひっ・・・。ふ、ふいぃいい~~っ、ひっ、ひぃっ・・・」
小さな声でしゃくりあげるしか、今の青年には自分の思いを表わせなかった。
涙を流しながら、前へ進む為に歩み続けた。
背後には青年を恐怖で支配する金太がいるのだ。少しもスピードを緩めることは許されない。
廊下の端まで歩かせると、金太はポケットから薄汚れた布を取り出して、グイっと青年の口の中に丸めて入れた。
「よし、口の中の布を噛まないよう大きく開いたまま、もう一度端までだ。尻振りが自然に出来るまで何度でもやるぞ」
パンっと力強く尻を叩かれて、慌てて方向転換する。
言うことを効かないと、この凶暴な男に蹴られてしまうのを身体が自然に覚えていた。
無意識に上がっていく尻の動きを見て、満足気に頷く金太にホっとする。
(あぁああああぁぁあああ~~~~~~~~っ。ち、違うっ。こんなの俺じゃ、俺じゃないっ!)
心より先に、金太に従順になった身体が恨めしい。
何故、どうしてこんなことに。
考えても答えは出そうもなかった。
絶望する青年を見て金太が愉しそうにニヤリと笑うと、すぐに冷たい目で見下して来た。
これまで何人も調教してきたであろう彼に、何も知らない青年の身体は一体どこまで堕ちて行くのだろうか。
地獄は、今まさに始まろうとしていた。
大学の地下施設で極秘裏に行われている人身売買の話
麗らかな日差しの気持ちが良い午後だった。
大学の中庭では大勢の若者たちが集まり、穏やかに語り合っている。
誰も彼もが明るい未来を描いているとは言えなかったが、少なくとも今現在は青春を謳歌しているようだ。
そんな構内の一画で、ある過酷な仕打ちを受けている若者が十数人いた。
いろいろな手段で連れ去られて来た彼らには、決して明るい未来は訪れないだろう。
今日もまた、秘密裏に作られた地下牢に入れられ、捕食者に囚われた獲物さながらに地獄のような調教が強引に行われていた。
これまで逃亡する者は一人も居なかったが、調教中や斡旋という名の購入先では何人もの若者がこの世から去っている。
始まりはよくある話で、大学の借金と予算が足りないことに危機感を覚えたトップが、簡単に大金を手に入れたい、と呟いたことによるらしい。
別の手段を考えればいいものを、なまじ頭もよくて知人友人が多かった理事たちが簡単に組織を作ってしまった。
依頼者には警察関係のOBや議員まで居たから、例え逃亡されてもすぐに捕まって始末出来るメリットはあったが、同時に弱みを握られているのも事実だった。
あくまでこの大学に在籍する少女と少年だけを扱っていたが、世間は狭い範囲で繋がっているもので、他にも幾つかの組織と連携が取れるようになっている。
捕まったら一網打尽であり、当然、この組織のトップも我が身可愛さに告げ口する気満々である。
数年で借金はなくなり、予算も何とかなる目途がついたものの、止めようと思う毎に次の依頼が入って来ていた。
「いいじゃないか、俺の依頼を受けてからで。あんたにはかなりの融通をしてやったろうが。忘れちゃいまい?」
訪れる客は皆、敵にするには面倒な相手ばかりだった。
(誰だ、こんな横の繋がりを勝手に広げたのは)
数か月に一件だったのに、今では数週間に二件入ることもザラだったから、本当に止めるタイミングが難しいと、トップの男は呟いた。
部下達からは、あんたが首謀者なんだから決めろや、と軽く言われ続けているものの、今日も何となく止められないままに時が過ぎているのだ。
「止めたいんだよ。でもねぇ、いつそれをすればいいのかなぁ」
溜息を吐く男に部下の一人は呆れた視線を向けたが、退屈しのぎに続けている自分も同じだと分かっていたから、
「また依頼が来たんですね」
「そうなんだよ。どうしてかなぁ」
困ったね、と憂う上司に、まあ、もう少しやりますか、と了承の言葉を呟いてやったのだった。
そして今日もまた、 不憫にも目を付けられ、騙されて連れて来られた一人の若者が調教を受ける為、地下の冷たい床に蹲っていた。
全裸で蹲って泣き続けている彼は、大学生活に希望と憧れを持っていた。
義務教育とは何もかもが違う専門的知識を学び、華やかだと誰もが憧れる都会での生活を送りたかったのだろう。
貧乏で幾つものバイトを掛け持ちしていたが、学校は楽しくて苦にもならなかったようだ。
毎日は単調な中にも適度な刺激があり、あの日も普段と変わらずに大学の門を通った若者。
それなのに、どうしてこうなったのだろう、と咽び泣いている。
何をどう間違って、こんな目に遭っているのか。
冷たい床の上で、彼はずっと考え続けている。
自分が何をやったのか。一体、どんな人物が自分に目を付けたのか、と。
考えれば考えるほど、都会に出て来たことがそもそもの間違いだった、と恐怖に怯える心が囁いてくる。
「ひぐっ、・・・うっ、ううっ。・・・ひぐっ・・・、いっ、いや、いやぁ~~~~っ。怖いっ、怖いっ。・・・だ、誰かっ・・・」
初めてここへ連れて来られた時、彼は普通の若者らしい言葉遣いだった。
けれど今では矯正によって女言葉で話すようになり、考え方さえも女っぽくなるように無理強いされていた。
青年の周囲には同じ鉄格子の部屋が横並びで作られており、全ての牢に同年代の若者が入っている。
全裸にされ、首に鎖を付けられている彼らは、静かにベッドの上に座ったまま次の試練を待っているようだった。
厳しい調教を終え、誰かに売られるその瞬間に、もしかしたら逃げることが出来るのではないかと僅かな光を胸に持って。
虚ろな目の奥に、それでも生き延びたいという本能が、唯一彼らの意識を保っているのだろう。
▲
全ては10日ほど前のことだった。
青年はいつものように電車に揺られ、繁華街に着くとバスに乗り換えた。
大学までの15分間を青年は睡眠に費やすことにしており、周囲を見渡すことは一度もない。
浪人二年目でこの大学に受かり、ようやく大きな第一歩だと気負っていたのかも知れない。
まさか自分の動向を調査している人物がいたなんて、どうして考えられるだろう。
正門を通ってすぐに、ちょっと年上の学生から声を掛けられて立ち止まった。
「ねえ、そこの君。急いでるとこ悪いんだけどさぁ。さっきここで倒れた学生がいてさ。救急車を呼んだんだ」
「えっ」
いきなりの内容にびっくりして、その学生を見つめて続きを待った。
「うん、それでね。その学生が病院に運ばれる時に教科書や携帯を預かっておいたんだけどね。俺が持ってるのって変だろう? でさ、悪いと思いつつ携帯いじってさ」
矢継ぎ早に話し掛けられ、止めることも頷く暇もなかった。
「一番仲のいい奴を探したんだ。ああ、勿論、ご両親にも連絡しといたよ。当然だよね」
ここまでは理解出来たかな、と言いたげにその学生が首を傾げて見てくる。
何となくだが言っている意味は分かり、友人の誰かなんだろうなぁ、とぼんやり考えていた青年は小さく頷いた。
そうして続きを促してしまった。
「でさ、病院に行くのが先だろうから、ご両親には病院名だけを言って、携番トップに名前があった君にその学生の荷物を引き取ってもらおうと思って待ってたんだ」
最後は早口だったが言われた内容はすんなりと頭に入っていた。
(携帯番号のアドレスのトップに名前が? ・・・誰だ?)
自分の知り合いなことだけは確かなようで、早く相手を知りたいと思った。
「ほら、・・・あっち、見える? ・・・そう、あれ、あの手を振ってんの俺の友人」
指差された方向に身体を捻るようにして振り向くと、確かに男の学生が手を振っていた。
「ね、君のサークルの先輩だよ。・・・見たことない?」
知らないかと問い掛けられ、話を反芻しながら頷く。
確かに手を振っている人物が居る場所は、入ったばかりのサークルで使用している部室のようだった。
なら、そこに居るのはサークルの先輩だろうし、友人だという彼もここの学生に間違いはないのだろう、と。
大学で詐欺に遭うはずもないし、目前の人物はそれなりに良い人っぽかった。
この話に嘘はないだろう、と考えた青年は知りたいことを尋ねてみた。
「はい。・・・えっと、それで倒れたっていう彼の名前を教えてもらえますか?」
年上の学生のようだから丁寧な言葉を使うことにした青年は、持っている鞄を無意識に抱き締めていた。
「ああ、ごめん。言うの忘れてたよ。・・・何しろ初めてのことでビックリしてさ」
それは確かにそうだろう。軽く頷いていると先輩は笑顔を向けてきた。
「・・・えっと、確か、・・・山・・・山口君、だったかな。知ってる?」
山口と聞き、その容貌がすぐに浮かび上がる。
彼は青年の一つ年下で、遊びに勉強にと青春を謳歌している奴だった。
自分の知っている人物の話だと分かり、俄然信憑性が出てきた青年は、山口という名の友人について思い返してみた。
(あいつが・・・。そういえば、ここ10日ほど休んでいたよな)
気が合うから暇さえあれば遊びに出る間柄だったが、最近はバイトが忙しくてあまり遊んでいなかったことに気が付いた。
真っ青な顔になった青年を、先輩が頷きつつ背を押して促してきた。
「悪い。俺、これから抜けられない講義なんだ。急がせて悪いとは思うけど。向こうの教室に置いてるからさ。・・・頼むよ」
生暖かい他人の手で背中を押されて嫌だったが、まぁ仕方がないかと青年は歩き出した。
そこが地獄の入り口とも知らずに、親切そうな先輩に付いていくことになったのだ。
普段なら許可がないと入ることも出来ない研究棟の一画に、その建物はひっそりと建っていた。
思わずキョロキョロと見回す青年に、先輩が笑って教えてくる。
「ここは特別棟の一つだよ。・・・学長肝入りの研究をしてるんだ」
脅かすような声音に青年の背中がゾクっとした。
明るい口調から一変したそれは、嘲るような怖がらせるような低音で正直怖かった。
(何だ、コイツ。気持ち悪い)
さっきまでの優しい先輩は何処にいったんだと思う。
口の端がつり上がり、ニイっと薄笑で見てくるのが気色悪かった。
逃げるようにジリジリと下がり始めた青年の腕を凄い力で握ると、グイグイ中へと引き摺っていこうとする。
「いやだっ! やだ、はなせっ! ・・・何すんだよっ、はなせぇえええ~~~~!」
先輩はチっ、と舌打ちすると青年の口を掌で覆って来た。
「うううううぅ~~~っ。・・・んっ、んんぐぅっ。うぐっ、ん、・・・んんっ?」
息が出来ないほど強く覆われてしまい、ジタバタ抵抗する青年は建物の奥へと引き摺られ、壁にバンっと押し付けられた。
「ひぐっ。ん、んんっ。んっ、・・・ん、んん~~~~~~っ」
涙目で目前の男を睨み付けるが、逆にせせら笑うと青年の首に手を伸ばして来た。
自分とは違う大きな手が、何の躊躇もなく首を絞めようとする。
「んんんっ、んぐう、んぐぐ~~~~~っ。んぐっ、ぐっ、ぐぶう~~っ」
このままでは死ぬと本能で感じた青年は、必死になって抵抗しよとした。
(こ、殺されるっ、殺される、殺され・・・)
息が苦しくて自然に涙が出てきた。
目蓋を動かす度にぶわっとその涙が溢れそうになる。
「黙れ。俺は騒がしい奴は大嫌いなんだ。・・・いいな?」
笑って促してくる男の目は、冷酷に光っていた。
だから、青年にはガクガク首を振って大きく頷くしか選択肢はなかった。
それ以外、何が出来ただろうか。
満足気に青年を見た男は、ようやく口と首から手を離した。
「ゴフっ、ゴっ、・・・ゴフっ・・・うぐっ・・・」
いきなり新鮮な空気が与えられて、途端に青年は咳き込んでしまう。
その様子を見て笑う男の背後で、いきなり別の男の声が響いた。
「・・・おい、遅かったな。何か問題でも起きたのかよ」
ジロっと咳き込む様子を見つめて来る新たな男は、さっき窓から見えた奴のようだった。
その冷たい目は、青年を連れて来た男と良く似ており、鈍い光を放っている。
「いや、順調だ。何の問題もない」
「そうか。・・・いくぞ」
新たな男はさっさと先に立つと、一人で歩き出してしまった。
それに文句を言うこともなく、来い、と男は青年の腕を取って連れて行こうとする。
(い、いやだっ)
心の中では必死に抵抗していたが、さっきの首絞めのショックだろうか、青年にはもう一度暴れる勇気は出なかった。
やがて上部へと上る階段が見えてきた。
その脇にはエレベーターらしき扉がある。
古い建物だと思ったが、ちゃんと手を入れてあるらしい。
上に行くのかと青年が男を見上げれば、左の何も無い壁の方へと引っ張られて歩かされてしまった。
不審に思っていると、先に歩いていた男が壁の中央を指で触りだした。
(・・・何してるんだ?)
暫く待っていると、やがて、指が突起みたいなモノを摘んで引っ張っるのが分かった。
5㎝ほど引きずり出されたモノを、クルっと右に回して男が手を放した。
その瞬間。ズズっ、ズズズっと、何処からか音が聞こえて来た。
(えっ、何の音だっ)
視線だけを左右に動かして周囲を警戒する青年を置き去りに、男二人は自然体で立っている。
多分、何度も経験したことなのだろう。
それから10秒もしないうちに、急に壁の真ん中から光りが飛び出してきた。
いや、そう見えただけで、実際は壁が割れていっているようだ。
(ビ、ビックリしたぁ)
まさか壁が動くとは思わなかった。
人が入れる大きさにレーザーか何かで四角に切り取られた後、その部分が後ろに下がっていったのだ。
ほんの数秒で止まったそれは、今度は真横にスライドされて見えなくなってしまった。
新たに出現した空間を少しだけ青年が覗いてみると、下へ続く階段が繋がっているようだった。
男たちは四角形の中央を屈んで潜ると、コンクリートで出来た階段を下りようとする。
勿論、その後には強引に腕を引き摺られる青年が続いた。
暗いけれど僅かな明かりがあるらしく、階段を踏み外す心配はなかった。
▲
剥き出しの土の壁が長く続き、一分近くも下りてようやく広間に出た。
大きなテーブルが3つ。そして椅子が5脚ずつ配置してあった。
簡易の台所もあり、食器棚まで置かれていた。何故か、脇に本棚も用意されている。
一番奥のテーブルの背後にドアがあって、その柄模様からトイレだと分かった。
一人用にしては扉が大きいから、何人か入れる広さがあるのかもしれない。
手前のテーブルの左横には大きな扉があり、不透明な色ガラスが4箇所入っていた。
(ここ地下だよな。もしかしてまだ部屋があるのか)
立ち尽くす青年を余所に、男二人は楽しそうにしゃべっている。
「あれ、金助はいねえのか?」
「ああ。さっき15-Bを連れてったぜ」
「んじゃ、次は16-Aか」
「いや、18-Bを先にしろってさ。どうやら相手が催促してきたらしい」
そこで何故か互いを見つめ合う二人。
ニヤっと笑っているのが気持ち悪かった。
(何なんだよ、コイツら。薄気味悪いったらないぜ)
すっかり逃げ出すのを忘れていた青年を、クルっと振り向いた二人が同時に嘲るように笑った。
思わずビクっと背を震わせて後ろに一歩下がってしまう。
何がなんだか分からなかったけれど、本能が危険を知らせていた。
嘲りの視線を浴びせられ、また一歩後ろに下がった青年に、
「よう、23-A。この分だと、お前はあと8日で出荷のようだぜ」
「それまでに飼い主に気に入られるよう躾けてやるから安心しな」
ニタニタと気持ち悪い顔で意味不明な言葉を告げてくる二人。
何故か胸がムカムカした。多分、飼い犬のような存在に見られた気がしたからだろう。
眉を顰めたのは一瞬のこと。突然、告げられた内容を脳が急に理解してしまった。
「ひいい~~~~~~~っ!」
無意識に出た悲鳴が、おぼろげだった想像を補完していた。
(そ、それって、・・・それって、まさかっ)
絶対に違う、間違った考えだ、そう思いたかった。
安心したい一心で、こわごわと青年は口を開いた。
「・・・俺を、売るって、言うのか?」
否定して欲しかった。冗談だと。
今までのことは、劇のサークルか何かで作ったシナリオだと言って欲しい。
よく出来た作り話だと、そう言って笑って欲しかったのに。
「そうだ」
「よくわかったな、偉いぞ」
二人同時に馬鹿にしたように笑われて、その表情に今度こそ頭がパニックを起こした。
「いやだっ! いやああああああぁああああ~~~~~~~っ。い、いやだっ、いやだっ、いやぁあああ~~~~~~~!」
逃げようと階段へダッシュする青年を、二人の男は難なく捕まえてしまった。
「ひぃいいいい~~~~~~っ。いやだぁあああ~~~っ。助けてっ! 助けてっ! 助けて~~~~~っ!」
見っともないなんて微塵も考えず、青年は二人に泣き縋って助けを請うた。
だが、彼らが頷くはずもない。
一人が背後から青年の腕を取り、両腕をまとめて引っ張ると強引に立つよう促してくる。
もう一人は青年の前に回り、勢いよく腹を二度殴ってきた。
「・・・うぐっ。ぐうっ・・・。ゴ、ホッ、・・・グっ・・・うがっ・・・」
無様に倒れそうになった青年を、後ろの男がもう一度引っ張って立たせた。
「忘れるな。お前はもう商品なんだ。・・・逃げられやしない」
前に立つ男の眼がキラリと残忍に光るのが怖いのか、青年の身体はブルブルと激しく震え始めた。
そんなこと、絶対に認められない。認めたくもない。
認める訳にはいかなかった。
「い、いやだああああ~~~~っ。違うっ、違うっ、違うぅううううう~~~~~~~っ」
何度も何度も顔を振って訴える青年の耳に、優しそうな声で二人が囁いて来た。
右から、
「お嬢ちゃん。あの扉、・・・見えるだろう? あの先が今日からお前の楽しい我が家だ」
そして左から、
「お友達もいるんだぜ。予定より早めの納入になったらしいけどな。今、調教中だとさ。呼び名は15-B。後で会えるといいなぁ」
その口調と眼差しに、誰のことを示唆しているのか、そしてもう会えないのだハッキリ理解してしまった。
(・・・うそ。・・・うそ、うそだ、うそだっ)
この二人が、わざわざ青年に友達の話をする理由なんて一つしかない。
(や、山口? ・・・山口もここに居るっていうのかよっ!)
でっきりここに青年を誘い込む為の口実として、山口の名前を使ったのだと思っていたのだ。
逃げないと確信したのか腕が放された。
けれど、青年は呆然と床に座り込んで動かない。
信じたくなかったからだ。
山口の身に起こっていることも、これから自分の身に起ころうとすることも。
呆けたように座り続ける青年の背を、二人がゲシっと蹴り上げて、さっさと立つように命じてきた。
痛みに喚いていると、更に左肩を一人が思い切り蹴って来る。
これ以上の暴力を受けたくないと観念してヨロヨロと立ち上がった青年を二人が見下すように嗤う。
「さて、と」
一人が別室への扉を開けると、もう一人が背を掌で押して中へと入るよう強制した。
痛みに軋む背と肩を庇ってヨロヨロと歩き始めたけれど足が悲鳴を上げた。
どうしよも出来なくて床に座り込んでしまった青年は、ノロノロと顔を上げて周りを見渡した。
長い石の廊下を真ん中に挟み、両側に牢屋が幾つも並んでいた。
「ひいいい~~~~~~~~っ」
思わず後ずさった青年の背に男の足が当たり、ゲシっと蹴り付けられた。
「あぎいぃいいいい~~~~っ。ひいっ、ひっ、ひぎぃ~~~~っ」
恐怖に震えながら青年は男の方を振り返った。きっとその目は哀願していたに違いない。
もう蹴らないでくれ、と。許してくれ、と必死に。
そんな青年を見た二人の男は嗤い合うと、淡々と残酷な指示を出してきた。
「お嬢ちゃん。いや、23-A。ここでは商品は四つん這いで歩くんだぜ」
「なぁ、もう一度蹴ってやろうか? サンドバックになりたいっておねだりだろ?」
その言葉に背筋が凍った。
もう痛いのは嫌だと、プルプル顔を振って無意識に服従する証の格好を取る。
「いい仔だ」
「ふん、まあいい」
同時に発せられた言葉には、微妙に温度差があった。
さっきから感じていたのだが、一人は凶暴で弱い者虐めの傾向があるようだった。
言うことを聞いたら気持ちは治まるが、もっと虐めようと次を考えるタイプ。
もう一人も同じく凶暴には違いないが、大人しく聞いている分だけ優しい気がする。
擦り寄りの仕方によっては何とかなるかも知れない。
そんな卑屈な考えに青年は自己嫌悪を覚えたが、ここから逃げることが先決だと覚悟を決めた。
怯えつつも逃げる算段を必死に考えていた青年の背に、冷たい言葉が降りてきた。
「よし、次はその邪魔なもんを取ってやろう」
「それからお前のナンバー入りの首輪を付けて散歩だな」
質問したい事は色々あったが、男たちの怒気を誘うかもしれないと、ただただ黙ってじっと我慢する。
一人は広間へと戻って行くが、もう一人が青年の服に手を掛けると、ビリビリと強い力で布を裂いていった。
今度は何をされるのか、と恐怖に悲鳴を抑えることも出来ない。
「ひっ、ひぃいいいいい~~~~~~っ!」
必死で手と足を動かさないように踏ん張った。
ここで逃げ出そうものなら、この男に殺されてしまうに違いなかった。
さすがに手でズボンを裂くのは無理だったのか、男はポケットからナイフを取り出して強引に引き裂いていく。
慣れているのか、短時間で全裸にされてしまった。
肌寒さと羞恥、得体の知れない恐怖に震える青年を、男がせせら笑って見下ろしていた。
暫くして、首輪を手にしたもう一人の男が戻って来た。
幅が5cmもある紫色のそれを軽く振ると、青年の首に取り付けるモノだと笑う。
「ほら、来い。お前の首輪だ」
「良く見ておけよ。外す機会は当分先だからな」
脅しながら首輪を取り付ける男たちが怖くて、青年はひたすら目を瞑ってやり過ごそうとした。
それが気に入らなかったのか、ギュっときつく締められて大急ぎで青年は目を見開くしかなかった。
(・・・く、苦しいぃいいいいいい~~~~~~っ)
ゴフっと荒い息を吐き、口を何度も開閉させた。
その様子を見て、少しだけ優しい方の男が眉を顰めながらも穴を一つ緩めてくれる。
「ふん、似合うじゃないか。・・・ほんとの仔犬だな」
「ああ、誰だか知らんが趣味はいいな」
何の話を始めたのか分からなかった。
「・・・?」
今のはどういう意味なのか。考えたくないが不安で仕方がなかった。
勿論、彼らだけじゃないのは最初の方の会話で分かっていた。
でも、一体何人がこの地下牢に関わっているのだろう。
無事に逃げることが出来るのか、薄ら笑いの二人の男が巨大に見えて、青年の胸はギリギリと痛みを増していった。
頭上で語り合う男たちが不審げな顔をした青年に気付いたのか、ニヤニヤ笑って教えてくれた。
「何だ、気になるってか? それはな、お前の飼い主が購入したものなのさ」
「大学へ依頼が来ると、そいつのデータを収集して納品可能か調査するわけ。・・・で、お前は無事それをクリアした。良かったな」
その言葉に、全裸で震えていた青年の身体が更に激しく震え始める。
(ひいぃいいい~~っ。そ、そんな・・・)
人身売買、そんな言葉が脳裏を過ぎった。
「最初に斡旋契約書を作って、どこまで調教、もとい品物の品質を求めるか確認し合う訳だ」
楽しそうに一人が青年の顔を眺めながら囁いてきた。
「で、次に価格を交渉して互いに納得したら、大学への寄付って名目で半額前金の小切手を払って貰う」
「面白いだろ?」
より凶暴な方の男が俺に笑い掛けて来た。青年がが絶望に震えているのが楽しいのだろう。
「ま、動物による癒し研究で本物の犬もたくさん飼ってるからな。首輪を受け取っても変じゃない。ちなみに、俺はここの責任者で金太」
そう言うと、もう片方の少しだけ優しい男の方を顎で示した。
「そんでコイツが金治。他にも五人ほど学長に雇われてるバイトがいるぜ。分かってるだろうけど全員ニックネームだ」
楽しそうに告げる神経が理解出来なかったが、そもそもこの男たちはどこかオカシイに違いなかった。
研究だの本物の犬だの、どうでも良かった。
気になったのは・・・。
(が、学長が? この大学は、・・・大学で学生の斡旋を?)
普通の、いわゆる企業への優秀な学生を裏斡旋するならばまだ理解可能だった。
それが人身売買。しかも、学長のような大物の名が出たことで絶望は一層深くなる。
胸が苦しくて堪らなかった。涙が川のように頬を流れ出るのも気にならない。
「何度名乗っても陳腐な名前だぜ」
責任者といっても、互いに上下の拘りはないらしい。
妙にリラックスしている二人は、互いに遠慮がないようで青年を無視して好きなように喋り続けいた。
「しょうがねえさ。実際インパクト有り過ぎで、頭から離れねえイイ名だろう」
「まあな。・・・やっぱ、言葉遣いも躾けるか? この顔で俺ってのはなあ」
金太と呼ばれる、より凶暴な男が青年の普段の喋り方に不満を持っているような言い方をした。
「別にそれは飼い主に任せりゃいいんじゃねえの。まあ、コイツの担当はお前だから好きにしな」
「おうよ」
その言葉に青年の涙はピタっと止まった。
だが、代わりのようにヒクっと咽喉が鳴る。
恐る恐る担当だという金太を振り仰いだ。
彼は二番目に来た学生で、どちらも怖いけれどより怖く思っている方なのだ。
腹を二度殴ったのも、肩を蹴ったのもこの金太であり、同じ暴力を振るわれるならもう一人の方がマシだった。
こんな男が傍に居たら逃げる前に気力を失くしてしまうに違いない。
金太の顔を恐る恐る窺っている青年の前で尚も二人の話は続いていた。
「って訳で、23-A。言葉遣いもちゃんと躾けてやるよ。今から、私って言いな。俺なんて言葉を使ったら厳罰を与えてやる。お前は今日から牝犬だからな。・・・返事は?」
軽い口調から低音の脅すような声音に変わり、青年はヒクっと身体を震わせた。
(そんな、俺は・・・。だ、だけど、・・・この男は、怖い)
口答えすら出来ないのに逃げ出すことは出来るのだろうか。
「・・・は・・・ぃ・・・」
せめて顔は隠したくてガクっと首を落として項垂れた青年の髪を金太が掴み、ぐいっと引っ張り上げた。
「愚かなお前を躾けてやる優しい先生に挨拶しろ」
金太は片足を上げ、靴先を青年の口元へと近付けてきた。
(ま、さか、そんなっ。・・・俺は、俺は、・・・くっ・・・)
目を見開いて金太を見る怯えた青年の髪が更に強く引っ張られる。
「ひいいい~~~~っ。や、やめろっ! いたいっ、いたいぃいいいいい~~~~~っ!」
「ほら、さっさとしろよ。あと言葉に気ぃつけろ」
コンコンと硬いつま先が強く唇に当てられた。
覚悟を決めた青年は、そっと舌を伸ばすと汚れたそれに口付けた。
薄汚れた靴から、もわっと嫌な臭いが漂ってくる。
「舐めんだよ。美味そうに全体をな。・・・裏も忘れんな」
その言葉に絶望して顔を歪ませる青年を金太が無表情で見つめていた。
少しでも優しくしてもらえないかと見上げる青年を残酷に裏切り、その表情筋が動くことはなかった。
何度も何度も舌を出し入れし、ようやく舐める覚悟を決める。
(何も考えない、何も、考えない・・・)
呪文のように繰り返し、時間は掛かったが裏も綺麗に舐め尽くしていく。
はあ、はあっと舌を出して喘ぎ、涙を溢している青年の頭を金太が撫でて来た。
よくやった、というように優しく。
何故だか、更に涙が次々に溢れ出てきた。
こんなの飴と鞭の常套手段だというのに。
暫らく無言だった金太から、次の命令が与えれられた。
「おい、いつまで泣いてんだ。ほら、お前の小屋まで歩け。尻を高く上げてフリフリしながらな。・・・これは犬の基本だ。お前の飼い主に良く見えるように、喜ばれるように常に意識を尻に集中しな」
酷い言葉に、もう諦めて乾いたはずの心が悲鳴を上げた。
(ひいぃいいい~~~~~っ! い、嫌だっ、嫌だっ。・・・誰か、助けてくれっ)
思いとは裏腹に恐怖に後押しされた身体は望まぬ姿勢を取ってしまう。
促された方向へ、一歩一歩ゆっくりと進んで行くのだ。
言われた通り、尻を大きく振りながら。
青年は、絶望しか感じない冷たい石の廊下を、ボロボロの涙で顔をくちゃらせて歩いて行った。
▲
両側の牢屋には、青年と同じ格好の若者が何人も入っていた。
彼らは、一度もこっちを見ようとはしない。
でも耳を塞いでいるのでも、目を瞑っているわけでもなかった。
廊下側、つまり青年が歩いている方へと尻を掲げてベッドに座っているのだ。
見たくないのに、絶対に見たくないのに。
こんな現実、知りたくなかったのに。
一度も考えたことのない地獄がそこに展開していた。
彼らの尻には棒のようなモノが入っており、それが振動しているのが分かってしまう。
(アレを、・・・あんなのを俺の尻にも?)
バイブなんてモノ見たくなかったのに。
この後、自分の身に起こることが簡単に想像出来てしまう。
「いひぃいいいいいい~~~~~~っ! い、やだっ、嫌だぁあああああ~~~~~~~~っ」
それに気付いた瞬間、青年の足取りは遅くなり、やがて恐怖に叫ぶ為に完全に止まってしまった。
ブルブルと震える身体を両腕で抱き締める。
出来るならば今見た記憶を消したかった。
自分の殻に閉じこもりそうになっていた青年の尻を、金太の手がパンっと思い切り叩いて矯正しようとする。
「あぎぃいい~~~~~~~~っ! いたいっ、いたいぃいいいいいいい~~~~~っ!」
「さっさと歩け、このクズが。アイツらは飼い主の為に尻を拡張してるだけだ。勿論、今夜からお前にもやってもらうから楽しみにしとけ」
ワザと怖がらせようとする男の顔が迫って来て、慌てて四つん這いに戻った。
(いやだぁああああ~~~~~~っ。いやだ、いやっ、助けてくれ、助けて・・・)
歩きたくない。走って逃げたい。あの元の明るい世界に。
今すぐに夢から覚めたかった。こんなのはオカシイ。絶対にオカシイ。そればかりが頭をグルグルと回っている。
けれど身体はこれが現実だと教えるように、手足を動かし続けた。
また止まったら仕置きだと叩かれ蹴られてしまう、それが怖いと訴えるように。
「ヒクっ、ひっ・・・。ふ、ふいぃいい~~っ、ひっ、ひぃっ・・・」
小さな声でしゃくりあげるしか、今の青年には自分の思いを表わせなかった。
涙を流しながら、前へ進む為に歩み続けた。
背後には青年を恐怖で支配する金太がいるのだ。少しもスピードを緩めることは許されない。
廊下の端まで歩かせると、金太はポケットから薄汚れた布を取り出して、グイっと青年の口の中に丸めて入れた。
「よし、口の中の布を噛まないよう大きく開いたまま、もう一度端までだ。尻振りが自然に出来るまで何度でもやるぞ」
パンっと力強く尻を叩かれて、慌てて方向転換する。
言うことを効かないと、この凶暴な男に蹴られてしまうのを身体が自然に覚えていた。
無意識に上がっていく尻の動きを見て、満足気に頷く金太にホっとする。
(あぁああああぁぁあああ~~~~~~~~っ。ち、違うっ。こんなの俺じゃ、俺じゃないっ!)
心より先に、金太に従順になった身体が恨めしい。
何故、どうしてこんなことに。
考えても答えは出そうもなかった。
絶望する青年を見て金太が愉しそうにニヤリと笑うと、すぐに冷たい目で見下して来た。
これまで何人も調教してきたであろう彼に、何も知らない青年の身体は一体どこまで堕ちて行くのだろうか。
地獄は、今まさに始まろうとしていた。
スポンサードリンク