【 鳥は彼の為に歌う 】 初出-2009.12.30
籠の中の鳥が大切に、大切に飼われている話。
ふと視線を感じて隣を見ると、先程までゴロゴロと床を転がっていたモノがこちらを見つめていた。
問い掛けることも睨むこともなく、ましてや微笑んですらいない。
どこか不思議そうで、同時につまらなそうにも見える表情だ。
けれど、私にとってそれは普段と変わらぬ見慣れた視線で、ある意味で風景に近かった。
よく飽きないなぁ、といつものように声に出さず呟くほどに。
一応、身分の高い立派な大人だと世間で言われているその男は、ある非合法な組織にお金を払って私を購入していた。
この目でその瞬間を見ていたのだから間違いない。
だから標準的な価値観から言っても、男は変態か犯罪者である。
でも、男は誰にも咎められなかった。
それはそうだろう。あの場所は、娼館であると同時に使い捨ての奴隷を売買するところなのだから。
奴隷としての躾けすらされていなかった私は、人間ではなく「鳥」として男に買われることになった。ただ、それだけのこと。
まだ歌うことしか出来ない調教前の「鳥」を買う意思表示した男に、売人は愉快そうに笑っていた。
けれど、男の方はというと、つまらなさそうに大金を売人へと支払うばかりで、正直言って私は馬鹿にされているような気がした。
勿論、男は悪くないのだろう。売っているから買ってみた、それだけのことなのだ。きっと。
ザワザワする場から連れ出されている間、私は屈辱と絶望に襲われていた。
男の真っ赤な皮の手袋の感触だけを何故か今でも覚えている。
▲
幼い頃は忙しく働く両親の仕事場で一日を過ごしていた。
私たち一家はとても貧しかった。母はあまり身体が丈夫ではなかったから父の負担は大きかったことだろう。
父が作る小さな家具は十日に一個売れると良いほうだった。
貧乏なまま時は過ぎ、やがて母が亡くなると、父は新しい母親になる人だと女性を家に連れて来るようになった。
数か月もしないうちに彼女は妊娠し、父は正式に彼女の両親の元へ挨拶に向かった。
「仲良くやってくれよ」
父の言葉に頷いた私に与えられたのは、冷たい眼差しの新しい母と、その母の実家が所有する小さな家の片隅にある部屋だった。
二年連続で弟が生まれると、相談の末、両親は得意先だけに頼るのをやめて外で直接取引をすることになった。
朝から夕方まで誰でも参加可能な市場があるんだよ、と父が私に微笑む。
頷く以外、私に何が出来ただろう。
そこは、一番大きな街に繋がっている道路で、その両側に毎日作られる市場だった。
幅広い馬車道ではあったけれど舗装はされておらず砂煙がひどい、お世辞にも綺麗な場所ではなかった。
それでも、それを無視出来るほど活気に溢れていて、ひっきりなしに旅人や兵士が通って行くのだ。
この市場を取り仕切っている領主の娘婿が面倒だと仕事を投げた結果、来た順番から適当に好きな場所を選べることになっていることも人気の一つなのだろう。
残念ながら、朝が苦手で商品を運ぶのもオンボロな荷台しかない私の家族には、いつも少し奥まった所しか残っていなかった。
市場を眺めるのはとても楽しかった。
笑顔全開の異国の商人もいれば、疲弊した旅人もいる。
少し遠い場所から連泊して商売に来た者、近隣の貧しい農家の奥さんたちと職業は様々だった。
朝早から周辺に色とりどりのテントが張られ、その場で焼いた肉や煮込み料理の良い匂いが辺りに漂っていく。
大勢が行き来するので埃が舞うし、大小の喧嘩は絶えない。
売り物のニワトリや豚の鳴き声、上空を移動する鳥の群れ。
猫と犬の野良たちが獲物と餌を求めてうろつき回っている。小さな子供たちがそれを追いかけては親に怒られて泣き叫ぶのだ。
怪しい薬が売られ、どぎつい化粧の占い師が客を呼び止める。
騒がしいけれど飽きることなく見つめては自然に笑顔がこぼれていた。
小さな作品を売って僅かな収入を得る両親の傍らで、私は邪魔にならない小さな声で歌っては幼い弟達をあやし続けた。
生まれたばかりの弟たちは、実の母の声よりも何故か私の歌を気に入ってくれたらしく、滅多に目を覚ますことがなかった。
義母が私を気に入らないことを父は知っていたけれど、初め頃の取り成しはいつしか消えてしまい、最近では諦めているようだった。
家から追い出されるのでは、そう不安に胸が苦しくなったのはいつからだろうか。
居場所を与えるかのように弟たちは私の歌声に懐いてくれた。
毎日愛らしい仕草を見せてくれる天使のような存在。
赤ん坊からよちよち歩き、そして私の後ろで楽しそうに二人で遊ぶ姿に目を眇める。
彼らがいなかったら、私は自分から家を飛び出していただろう。
生まれてくれてありがとう、そう何度も呟いては世話を焼いた楽しい日々が思い出される。
母の蔑むような視線は私に纏わり続け、消える気配は一向になかったけれど。
それでも、弟たちの健やかな成長に救われながら時は過ぎて行った。
両親が市場で商売をするようになって二年が過ぎた頃。
季節は蒸し暑い夏を迎え、唐突に私の人生は転機を迎えてしまう。そう、悪い方へと。
相変わらず貧乏な生活に変化は訪れず、父と義母は喧嘩することが多くなっていた。
「いいかげんにしてちょうだいっ! いつまで私の両親にタカるつもりなのよっ!」
少なくない自分の両親からの援助を打ち切りたい義母の叫びが家中に響き渡る。
私はその度に二人の弟を抱き締めると、布団の中に蹲って静かになるのを只管待ち続けた。
やがて、言い争いに疲れたのだろう。父が義母の提案を受け入れてしまった。
微妙に視線をずらして疲れた表情で私を見つめると、淡々と言葉が紡がれていった。
呪いのような言葉を本当に淡々と。
「借金の為に、・・・いや、私たち家族が共倒れしないよう助けてくれないか」
そんな父を見たことがない私は、呆然とするしかなかった。
「これしかもう、方法はないんだ」
どこか遠慮がちだった父の表情は、途中から無表情へと変わっていた。
きっと心の中では葛藤と罪悪感がせめぎ合っていたのだと思う。今ならそれが分かるのだ。
多かれ少なかれ、私たちの周囲の貧乏な家族は同じことをしていたのだから。
けれど、その時の私に分かったのは一つだけ。
自分はこの家族から見捨てられたのだ、もういらない存在になったのだ、という事実だけだった。
人減らしによる借金の返済。それが手っ取り早く小金を得る為に両親が選択した道だ。
ある日、近所で荒くれ者と評判の男がやって来て、嫌がる私を家から引き摺り出すと車に乗せてしまった。
失望と諦め。どちらが大きかったのか今でも分からない。
その時、垣間見た母の薄ら笑いも、父の無表情にも私の心は痛まなかった。もう慣れ過ぎていたのだろう。
でも、一番下の弟がまだ覚束ない足取りで駆け寄ろうとする姿には涙が自然と零れ落ちていった。
上の弟がひっきりなしに瞼をバチバチさせては、下の弟を捕まえる実母と私を交互に見つめていた。
何が起こっているのか分からなくても不安が胸に込み上げてきたのか、途中から泣き出してしまった。
少しでも長く見ていたいと、手の甲で涙を拭っては遠去かっていく景色の中で二人の姿を目に焼き付けていた。
今はもう、ボンヤリと輪郭しか思い出せない。
それでもその情景は、今でも胸に痛みと温かさを与えていた。
▲
最初は小さな車だったのに、次に立ち寄った町で馬車に乗り換えると、更にトラックへと移された。
数日の間に似たような貧しい格好の少年少女が乗って来ては降ろされていく。
最後に残ったのは私と数人の男の子だけだった。
ここで終わりだ、と降ろされた場所には大勢の子供たち。
同じ年齢ぐらいだろうか、泣き腫らした顔で座り込んでいた。
逃げ出さないようにそれぞれの手首と足首を縄で繋がれており、私も同様の恰好と取らされていく。
胡坐を組むような恰好で縄を掛けられているから丸まってしまう背中が痛くて堪らなかった。
そんな私の背中に、男が声を掛けてきた。
「お前は歌が上手いらしいな。だから娼館に売るつもりで少しだけ高く買ってやったんだ」
貧しい子供を買い取っては高く売ることを商売にしているだけあって罪悪感の欠片もないようだった。
以前にも綺麗な声の少女を変態用に購入した娼館だぜ、とニヤニヤ笑う男の視線が気持ち悪かった。
弟たちが喜んでくれるだけで、けして上手いわけでもないのにどこでそうなったのだろう。
もしかしたら、両親が少しでも高く売ろうと口から出任せを言ったのかもしれない。
このまま娼婦になるのか、と自分でも思ったより冷静に現実を受け止めていた。
両親に捨てられた後、考える時間がたっぷりあったので開き直ったのかも知れない。
弟たちの暮らしに少しでも足しになるのなら構わない、と。
母が死んでからの寂しさを、あの二人が幸せな気持ちで満たしてくれたのだから。
お金を稼ぐのは想像以上に厳しいだろう。それでもいつか仕送りしてあげたい。
出来れば、私には無理だった学校にも行かせてあげたい。
そんな私の決意は、すぐにボロボロと崩れ去ってしまった。
売られた先の娼館で歌うよう指示された瞬間、恐怖で何も考えられなくなったのだ。
周りに立っている女の人たちの乱れたとしか言えない恰好や衣装に衝撃を受けてしまう。
私を見る目、目、目が突き刺さってくる。
気持ち悪くておぞましかった。
奴隷の立場は何となく理解出来ても、こんな風に、あの義母が十数人いるような場所に立つことなんて想像していなかったのだ。
品物を見定めるような視線に心も体も委縮して、ただただ無様に震え続けた。
(いやっ、怖いっ。私、私、こんなとこでっ)
胸が押し潰されそうに痛かった。鼓動が速くて、その音さえも私を追い込んでくる。
その時、静まり返る広間のソファの一つに誰かが座る音が耳に微かに届いた。
それが合図になったのか、何人かの女の人たちが広間にある椅子に座り始める。
空気が動き出した。そう感じた。
恐ろしい空間が、少しだけ、ほんの少しだけ現実に戻った気がした。
鼻から息を吸い、口から吐く。そんな簡単なことを思い出したのだろう。ようやく身体の震えが止まっていく。
こんなことじゃ弟たちに仕送り出来ない、何の為に売られたのか、と自分の役割を思い出していた。
それからの行動は無意識だった。
恐々と口を開くと、弟たちに一番良く歌って聞かせた子守唄の最初の音を紡いだ。
すると次の音が自然で紡がれ、やがて慣れ親しんだ歌に身を任せるように心を添わせていた。
いつも歌っている時のように最初は小さく。そうして段々と大きく伸びやかに。
やがて、周囲の音も皆の視線も意識の外へと消えていった。私は私だけの世界へと飛び立っていた。
こんなふうに大胆に大きな声で歌えたのは滅多になかった。
その心地よさが嬉しくて長い時間をそこで自由に過ごしていると、目に鮮やかな弟たちとの楽しい思い出が次々に浮かんでは消えていった。
嬉しさと悲しみと。もう会えない寂しさが込み上げてくる。
ギュっと苦しくなる胸の痛み。あぁ、もう終わらなくては。
ごめんね、ありがとう、と私は二人の弟に別れを告げた。
緩やかに声を落として調整を始めていく。
静かな余韻を残し、口を少し開いたまま歌い終えた私だったけれど、息つく暇もなくいきなり腕を誰かに掴まれてしまった。
そのまま強い力で引っ張られ、ずんずん進んで行く男の背中を呆然と眺めながら歩いて行った。
その男が、今の私の主だ。
私の歌声が、今は亡き鳥に、可愛がっていた特別な鳥の鳴き声にとても似ているという、そんな理由で買い取ったのだ。
だから、男の愛したモノの代替品として購入されてしまった私は鳥なのだ。
それ以上でも以下でもない。鳥として生きている。
あれから八年が経ち、私はこの屋敷で、ある意味とても優雅に暮らしていた。
彼の望む鳥として唄を奏でる毎日。
日々は穏やかに過ぎ、何一つ問題は起こらない。正直に言えばとても退屈だった。
そう、主となった男の、もうどうすることも出来ない哀惜に絡め取られたまま、私は生きていた。
▲
この国の王に仕えている重臣、クルス・クレフェーザ。
彼が、私を鳥として飼っている人物で、この屋敷の主だ。
王の覚えも良く、あと数年もすれば大臣に任命されるだろうと噂されているらしい。
私には信じられないけれど、使用人たちがそう教えてくれたのだ。
冷静沈着、切れ者、無表情で恐ろしい。女も男も嫌いだと公言するほどの人嫌い。
王の重臣として有名過ぎる男は、そう世間で噂されているようだ。
(いや、それ誰のことよ?)
この屋敷、いや、私の傍では真逆に振舞っている男と本当に同一人物なのだろうか。
子供のように私に歌を唄うことを強要し、その歌を聞きながら眠りについている。
大きな図体で、床に敷かれた幅広の動物の毛皮の上をゴロゴロと何度も何度も寝っ転がる。
そんな男の一体どこが切れ者なのだろう。
部屋の壁に鉄の棒を張り巡らし、部屋全体を籠に見立てて人間の女を鳥として可愛がる。
人として間違っている男が、本当に王の覚えが良いのか。
ホント噂って信じられない、と思う私だった。
色彩感覚は悪くないというのに、何故だか私に与えられる服はフリルや花の飾りが付いた子供っぽいものが多かった。
それだって、昔の私にしてみれば贅沢過ぎるのは確かだけれど。
「シェン、おいで」
病気で亡くなった鳥の名前で呼ばれて、私は小さく溜息を吐くとクルスに近寄っていった。
この八年、彼は私をシェンと呼び続ける。おかげで私は元の名前も忘れ掛けていた。
けれど、それが何だと言うのだろう。
彼が私という鳥に飽きるまで、籠の鳥として生きていくしかないのだ。
名前など持っていてもしょうがない。そうでしょう?
勿論、偶に大きな声で思い切り叫び出したくなる事もあった。
「私は人間なの! 鳥なんかじゃないっ! ・・・私を、私を見てっ」
でもきっとそう叫んだ瞬間、彼は私に飽きて振り向かなくなるだろう。
彼が欲しているのは、鳥なのだから。
子守唄を唄った後は、眠りについたクルスの顔を見つめるのが日課になっていた。
どんなに凝視しても起きない男に、私は信用されていると誤解している時期もあった。
ただの鳥でしかなく、私を人間として認識していないだけだったというのに。
王から妻を娶れと苦笑しながら言われたと、私を押し倒しながら呟くクルス。
三年前から彼は私と身体を重ねるようになっていた。
唄声とは別の啼き声が聴きたいと言って。
「いやっ。や、だっ。い・・・ぃひっ、ひっ、ひうぅ」
身体をクルスの胡坐の間に落とされ、大きく勃起したモノが背中に当たった感触に怖気づいた。
濡れたそれが私の纏っている柔らかな布に淫液を浸み込ませていくからだ。
胸の頂きを摘まれて嬌声を上げていると、私の両足を掴んで大きく開かれてしまった。
頭を振って拒むけれど、鳥には拒絶することは許されておらず、いつものように限界まで拡げられてしまった。
その状態のまま体が持ち上げられ、ズブっと太いモノが私の中へと入り込んでいった。
「ぎっ、いぃぎぃいいいいいいいい~~~~っ。 ひぃ、ひっ、いぎぃい、いぎいいいい~~~っ!」
全てがズッポリと埋まり、私はピクリとも動くことが出来ない。
少しでも動けば、限界まで拡がった秘所が切れて血が流れるに違いなかった。
私の気持ちなどお構いなしに、クルスは私の腰を掴んで軽くモノを引き出すと、次の瞬間、腰から手を離して奥深くまで貫いてしまった。
「ひぎゃ、ぃぎゃあいいいいいいい~~~~~っ! ひぎいっ、ぎぃっ、ひぎぃ・・・っ 」
「いい声だ。お前の啼き声が一番耳に心地いい。ここと同じように、な」
そう囁き、繋がっている場所を指でなぞってくる。
「や・・・っ・・・。いぃやあぁ~~っ。ひいっくっ、うくっ、うぃやぁあ~~~っ。・・・やぁだぁ・・・」
涙が頬を幾重にも濡らしながら零れ落ちていく。
その涙をクルスが長い舌で掬い取ると、私の唇を強引に抉じ開けて差し込んできた。
何度もされた行為だから自然にそれを舌で受け取って飲み込んでいた。
クルスの舌と自分の舌を絡ませてネットリと唾を交換しあう。
堅く尖った両方の乳首をキツク抓られ、痛みとも快感とも言えない甘い何かが背中をスーっと走っていった。
慣らされた行為の結果か、それとも私が淫乱なのか。
鳥を可愛がる男の手と指で、舌や大きなモノで私の身体はクルス一色に染まっていく。
まるで歌を唄っている時のように。
そう遠くない将来、彼は私を捨てるだろう。
王が選んだ女性、きっと地位も権力もある重臣の息女を正妻に娶るに違いない。
その女性は、私の母と同じように私を邪魔だと思うだろう。
私はまた居場所を失くすことになる。
この寂しい男の傍で過ごす、穏やかな生活から切り捨てられて。
そう、私は鳥。
彼を一時慰めるだけのモノ。
本物の家族には叶わない。
大丈夫。大丈夫よ。
私は泣いたりしない。涙を流すのは快感のせい。人間だからじゃない。
彼が望んでいるのは鳥の啼く声だけ。
だから、さあ。
彼の手の動きに、目蓋を舐める優しい舌の動きに集中して。
私を中から突き殺そうとする大きなモノ。それが与える刺激に身体を委ねるのよ。
彼の望む歌を身体全体で唄うの。
貴女は。
私は。
人間の感情に揺らされてはならない。
鳥にも、・・・彼にも、そんなもの必要ないのだから。
▲
目前の揺れる姿態に魅せられて、いつものように張り切り過ぎてしまったようだ。
「うひいぃ・・・っ・・・。ひっ、ひぃぎぃい~~っ。はっ、はぁっ、はっ、はあぁ~~っ。・・・やっ、やだっ、・・・いやぁ、あっ、ああ~~っ」
俺の突き入れに合わせて身体を揺らしていたシェンは、やがて快感で意識を飛ばし失神してしまった。
(ふう。またヤリ過ぎたか)
可愛い啼き声と相性抜群の身体に、ついつい気を失うまで攻め立ててしまう。
そう、身体を限界まで拡かせて我がモノにしたその日から。
最初は本当に鳥の代わりとして、ただ気紛れに飼ってみただけだったのに。
いつから、ここまで囚われたのだろうか。
王の覚えが良いということは確かに嬉しいことだが、他者から敵視される事態の原因となってしまった。
当然それによって必要以上に気を張ることもあり、実際、毎日が煩わしくて仕方がなかった。
誰とも話さない彼女の傍は安心出来て、幼い時でさえ親にも見せなかった怠惰な部分を自然に曝け出していた。
(まあ、バラされたとしても誰も信じないだろうが)
最近は、愛妾の一人も持っていないことが逆に他家にとっては目に付き易いのか、望まぬ縁談を持ち込まれることも増えてきていた。
ついには、王にさえも妻を娶るといい、と言われてしまう始末。
(どの口が言うんだ、まったく)
王自身は正妻が大嫌いだと公言して、隣国から贈られた愛妾に愛情と金品を渡し続けている。
その正妻である王妃さまがお産みになった後継ぎ王子と第二王子は、現在せっせと愛妾の元に暗殺者を送り込んでいて、秘密裏に撃退するのが大変なのだ。
(ああ、面倒くさいっての、ほんとに!)
まずは、自分の不始末を何とかしてから臣下である俺のことに口を出して欲しいものだ。
いや、そうすると愛妾を王妃にしてしまいかねないな、と嫌な考えが過ぎってしまった。
人嫌い、女嫌いを前面に出して牽制してきたが、そろそろ時間の問題だろうか。
(親からも煩わしいことばかり言われるし。・・・仕掛けてもいい頃合いか)
誰にも知られないように囲っていたシェンの存在を、それとなく広めることから始めるのがいいだろう。
彼女の存在から女性は大丈夫そうだと、一気に縁談の申し込みが増えるかもしれないが、その時は逆にシェンを前面に出して断ればいい。
そのうち、愛妾から正妻にするつもりだと。
親や親戚、関係ない外野がいろいろと言ってくるだろうが、どうでも良かった。
王にさえ話を通していれば何の問題もない。
きっと自分と同類だと仲間意識を持たれてしまうだろうが、そこはキッパリと否定したいものだ。
(一番の難関は、やはりシェン自身か。未だに自分は鳥だと思っているからな)
この屋敷の者たちは、俺の態度でシェンのことを愛妾だと理解しているようだった。
それはそうだろう。確かに俺は鳥のシェンを可愛がってはいたが、一日に一度声を掛ける程度だったのだから。
綺麗な囀りと美しい容姿が気に入っていたが、結局はそれだけだ。
初めて彼女の歌を聴いた時、その声がシェンに似ていると振り返った。
だが、金で彼女を買い取ってこの屋敷に閉じ込めたのは。
普段の俺とは掛け離れた、俺じゃない俺。
いや、自分の欲しいものを見つけた純粋な俺だったのだろう。
身体と心が成長するのを待つのが辛くて、これは鳥だと彼女にも自分にも言い聞かせてきた。
迂闊に手を出して怯えさせないように慎重に、俺らしくもなく気を使って。
(結局、我慢出来なくて数年で手を出してしまったが)
部屋を鳥籠のように改装し、誰にも見せないように、自分だけが彼女の目に映るように閉じ込めてきた。
(ようやく。そう、ようやく彼女を表に出せる)
鳥の存在から人間の女性に、俺の愛妾に身分を変えるのだ。
順当に正妻の地位へと上げるのには時間が掛かるだろうが構わなかった。
彼女を籠から出した後は、吟味した者に教育を任せなくてはならないだろう。
理由を訊かれたら、こう答えよう。
「親族が煩いのでお前を愛妾にした、と報告しておいた。これで俺は伸び伸び出来る。お前は一応人並みに作法を覚えろ」
呆れてから怒ってくるかも知れないが、習い事一つしていないのは以前に調査済みだった。
きっと不満顔の裏で喜ぶに違いなかった。
俺が選んで与えている小説や我が国の歴史書などを辞書を使ってまで読み込んでいるのだから。
そう、ゆっくり、ジワジワと包囲していくのだ。
今までと変わらず、それでいて俺の特別なものだと理解するように。
気を失った彼女の手を取り、その小さな、けれど形良く整った指に用意していた指輪を嵌めた。
我が家の紋章入りのそれを。
決して、鳥は持つことの出来ないもの。
目覚めた彼女は指輪を見て、どんな反応を返すだろうか。
怖いような、楽しみなような。
(泣いてもいい。怒ってもいい。最後に笑ってくれ)
俺を知るものが聞けば呆然とするだろうことを思いながら、俺は俺の一番大事な女性の頬へ小さな口づけを贈った。
「シェン。いや、ミリーナ。これからもずっと、お前は綺麗な歌を唄ってくれ。俺の傍で共に死ぬまで」
今までは言葉に出来なかった名前を、思いを紡いでいく。
「欲しがるものは何でも与えてやるよ。お前が本当に望んでいる家族だろうとな」
居場所を欲しがる彼女の寂しい目を、満たされたものだけが放つ輝きで彩ってやりたい。
そして、その目で俺を、俺たちの子を見つめて欲しい。
「幸せにすると誓おう。ただ一人だけ、愛するお前だけに」
俺は小さく呟いて、最愛の女の指へと唇を寄せていった。
籠の中の鳥が大切に、大切に飼われている話。
ふと視線を感じて隣を見ると、先程までゴロゴロと床を転がっていたモノがこちらを見つめていた。
問い掛けることも睨むこともなく、ましてや微笑んですらいない。
どこか不思議そうで、同時につまらなそうにも見える表情だ。
けれど、私にとってそれは普段と変わらぬ見慣れた視線で、ある意味で風景に近かった。
よく飽きないなぁ、といつものように声に出さず呟くほどに。
一応、身分の高い立派な大人だと世間で言われているその男は、ある非合法な組織にお金を払って私を購入していた。
この目でその瞬間を見ていたのだから間違いない。
だから標準的な価値観から言っても、男は変態か犯罪者である。
でも、男は誰にも咎められなかった。
それはそうだろう。あの場所は、娼館であると同時に使い捨ての奴隷を売買するところなのだから。
奴隷としての躾けすらされていなかった私は、人間ではなく「鳥」として男に買われることになった。ただ、それだけのこと。
まだ歌うことしか出来ない調教前の「鳥」を買う意思表示した男に、売人は愉快そうに笑っていた。
けれど、男の方はというと、つまらなさそうに大金を売人へと支払うばかりで、正直言って私は馬鹿にされているような気がした。
勿論、男は悪くないのだろう。売っているから買ってみた、それだけのことなのだ。きっと。
ザワザワする場から連れ出されている間、私は屈辱と絶望に襲われていた。
男の真っ赤な皮の手袋の感触だけを何故か今でも覚えている。
▲
幼い頃は忙しく働く両親の仕事場で一日を過ごしていた。
私たち一家はとても貧しかった。母はあまり身体が丈夫ではなかったから父の負担は大きかったことだろう。
父が作る小さな家具は十日に一個売れると良いほうだった。
貧乏なまま時は過ぎ、やがて母が亡くなると、父は新しい母親になる人だと女性を家に連れて来るようになった。
数か月もしないうちに彼女は妊娠し、父は正式に彼女の両親の元へ挨拶に向かった。
「仲良くやってくれよ」
父の言葉に頷いた私に与えられたのは、冷たい眼差しの新しい母と、その母の実家が所有する小さな家の片隅にある部屋だった。
二年連続で弟が生まれると、相談の末、両親は得意先だけに頼るのをやめて外で直接取引をすることになった。
朝から夕方まで誰でも参加可能な市場があるんだよ、と父が私に微笑む。
頷く以外、私に何が出来ただろう。
そこは、一番大きな街に繋がっている道路で、その両側に毎日作られる市場だった。
幅広い馬車道ではあったけれど舗装はされておらず砂煙がひどい、お世辞にも綺麗な場所ではなかった。
それでも、それを無視出来るほど活気に溢れていて、ひっきりなしに旅人や兵士が通って行くのだ。
この市場を取り仕切っている領主の娘婿が面倒だと仕事を投げた結果、来た順番から適当に好きな場所を選べることになっていることも人気の一つなのだろう。
残念ながら、朝が苦手で商品を運ぶのもオンボロな荷台しかない私の家族には、いつも少し奥まった所しか残っていなかった。
市場を眺めるのはとても楽しかった。
笑顔全開の異国の商人もいれば、疲弊した旅人もいる。
少し遠い場所から連泊して商売に来た者、近隣の貧しい農家の奥さんたちと職業は様々だった。
朝早から周辺に色とりどりのテントが張られ、その場で焼いた肉や煮込み料理の良い匂いが辺りに漂っていく。
大勢が行き来するので埃が舞うし、大小の喧嘩は絶えない。
売り物のニワトリや豚の鳴き声、上空を移動する鳥の群れ。
猫と犬の野良たちが獲物と餌を求めてうろつき回っている。小さな子供たちがそれを追いかけては親に怒られて泣き叫ぶのだ。
怪しい薬が売られ、どぎつい化粧の占い師が客を呼び止める。
騒がしいけれど飽きることなく見つめては自然に笑顔がこぼれていた。
小さな作品を売って僅かな収入を得る両親の傍らで、私は邪魔にならない小さな声で歌っては幼い弟達をあやし続けた。
生まれたばかりの弟たちは、実の母の声よりも何故か私の歌を気に入ってくれたらしく、滅多に目を覚ますことがなかった。
義母が私を気に入らないことを父は知っていたけれど、初め頃の取り成しはいつしか消えてしまい、最近では諦めているようだった。
家から追い出されるのでは、そう不安に胸が苦しくなったのはいつからだろうか。
居場所を与えるかのように弟たちは私の歌声に懐いてくれた。
毎日愛らしい仕草を見せてくれる天使のような存在。
赤ん坊からよちよち歩き、そして私の後ろで楽しそうに二人で遊ぶ姿に目を眇める。
彼らがいなかったら、私は自分から家を飛び出していただろう。
生まれてくれてありがとう、そう何度も呟いては世話を焼いた楽しい日々が思い出される。
母の蔑むような視線は私に纏わり続け、消える気配は一向になかったけれど。
それでも、弟たちの健やかな成長に救われながら時は過ぎて行った。
両親が市場で商売をするようになって二年が過ぎた頃。
季節は蒸し暑い夏を迎え、唐突に私の人生は転機を迎えてしまう。そう、悪い方へと。
相変わらず貧乏な生活に変化は訪れず、父と義母は喧嘩することが多くなっていた。
「いいかげんにしてちょうだいっ! いつまで私の両親にタカるつもりなのよっ!」
少なくない自分の両親からの援助を打ち切りたい義母の叫びが家中に響き渡る。
私はその度に二人の弟を抱き締めると、布団の中に蹲って静かになるのを只管待ち続けた。
やがて、言い争いに疲れたのだろう。父が義母の提案を受け入れてしまった。
微妙に視線をずらして疲れた表情で私を見つめると、淡々と言葉が紡がれていった。
呪いのような言葉を本当に淡々と。
「借金の為に、・・・いや、私たち家族が共倒れしないよう助けてくれないか」
そんな父を見たことがない私は、呆然とするしかなかった。
「これしかもう、方法はないんだ」
どこか遠慮がちだった父の表情は、途中から無表情へと変わっていた。
きっと心の中では葛藤と罪悪感がせめぎ合っていたのだと思う。今ならそれが分かるのだ。
多かれ少なかれ、私たちの周囲の貧乏な家族は同じことをしていたのだから。
けれど、その時の私に分かったのは一つだけ。
自分はこの家族から見捨てられたのだ、もういらない存在になったのだ、という事実だけだった。
人減らしによる借金の返済。それが手っ取り早く小金を得る為に両親が選択した道だ。
ある日、近所で荒くれ者と評判の男がやって来て、嫌がる私を家から引き摺り出すと車に乗せてしまった。
失望と諦め。どちらが大きかったのか今でも分からない。
その時、垣間見た母の薄ら笑いも、父の無表情にも私の心は痛まなかった。もう慣れ過ぎていたのだろう。
でも、一番下の弟がまだ覚束ない足取りで駆け寄ろうとする姿には涙が自然と零れ落ちていった。
上の弟がひっきりなしに瞼をバチバチさせては、下の弟を捕まえる実母と私を交互に見つめていた。
何が起こっているのか分からなくても不安が胸に込み上げてきたのか、途中から泣き出してしまった。
少しでも長く見ていたいと、手の甲で涙を拭っては遠去かっていく景色の中で二人の姿を目に焼き付けていた。
今はもう、ボンヤリと輪郭しか思い出せない。
それでもその情景は、今でも胸に痛みと温かさを与えていた。
▲
最初は小さな車だったのに、次に立ち寄った町で馬車に乗り換えると、更にトラックへと移された。
数日の間に似たような貧しい格好の少年少女が乗って来ては降ろされていく。
最後に残ったのは私と数人の男の子だけだった。
ここで終わりだ、と降ろされた場所には大勢の子供たち。
同じ年齢ぐらいだろうか、泣き腫らした顔で座り込んでいた。
逃げ出さないようにそれぞれの手首と足首を縄で繋がれており、私も同様の恰好と取らされていく。
胡坐を組むような恰好で縄を掛けられているから丸まってしまう背中が痛くて堪らなかった。
そんな私の背中に、男が声を掛けてきた。
「お前は歌が上手いらしいな。だから娼館に売るつもりで少しだけ高く買ってやったんだ」
貧しい子供を買い取っては高く売ることを商売にしているだけあって罪悪感の欠片もないようだった。
以前にも綺麗な声の少女を変態用に購入した娼館だぜ、とニヤニヤ笑う男の視線が気持ち悪かった。
弟たちが喜んでくれるだけで、けして上手いわけでもないのにどこでそうなったのだろう。
もしかしたら、両親が少しでも高く売ろうと口から出任せを言ったのかもしれない。
このまま娼婦になるのか、と自分でも思ったより冷静に現実を受け止めていた。
両親に捨てられた後、考える時間がたっぷりあったので開き直ったのかも知れない。
弟たちの暮らしに少しでも足しになるのなら構わない、と。
母が死んでからの寂しさを、あの二人が幸せな気持ちで満たしてくれたのだから。
お金を稼ぐのは想像以上に厳しいだろう。それでもいつか仕送りしてあげたい。
出来れば、私には無理だった学校にも行かせてあげたい。
そんな私の決意は、すぐにボロボロと崩れ去ってしまった。
売られた先の娼館で歌うよう指示された瞬間、恐怖で何も考えられなくなったのだ。
周りに立っている女の人たちの乱れたとしか言えない恰好や衣装に衝撃を受けてしまう。
私を見る目、目、目が突き刺さってくる。
気持ち悪くておぞましかった。
奴隷の立場は何となく理解出来ても、こんな風に、あの義母が十数人いるような場所に立つことなんて想像していなかったのだ。
品物を見定めるような視線に心も体も委縮して、ただただ無様に震え続けた。
(いやっ、怖いっ。私、私、こんなとこでっ)
胸が押し潰されそうに痛かった。鼓動が速くて、その音さえも私を追い込んでくる。
その時、静まり返る広間のソファの一つに誰かが座る音が耳に微かに届いた。
それが合図になったのか、何人かの女の人たちが広間にある椅子に座り始める。
空気が動き出した。そう感じた。
恐ろしい空間が、少しだけ、ほんの少しだけ現実に戻った気がした。
鼻から息を吸い、口から吐く。そんな簡単なことを思い出したのだろう。ようやく身体の震えが止まっていく。
こんなことじゃ弟たちに仕送り出来ない、何の為に売られたのか、と自分の役割を思い出していた。
それからの行動は無意識だった。
恐々と口を開くと、弟たちに一番良く歌って聞かせた子守唄の最初の音を紡いだ。
すると次の音が自然で紡がれ、やがて慣れ親しんだ歌に身を任せるように心を添わせていた。
いつも歌っている時のように最初は小さく。そうして段々と大きく伸びやかに。
やがて、周囲の音も皆の視線も意識の外へと消えていった。私は私だけの世界へと飛び立っていた。
こんなふうに大胆に大きな声で歌えたのは滅多になかった。
その心地よさが嬉しくて長い時間をそこで自由に過ごしていると、目に鮮やかな弟たちとの楽しい思い出が次々に浮かんでは消えていった。
嬉しさと悲しみと。もう会えない寂しさが込み上げてくる。
ギュっと苦しくなる胸の痛み。あぁ、もう終わらなくては。
ごめんね、ありがとう、と私は二人の弟に別れを告げた。
緩やかに声を落として調整を始めていく。
静かな余韻を残し、口を少し開いたまま歌い終えた私だったけれど、息つく暇もなくいきなり腕を誰かに掴まれてしまった。
そのまま強い力で引っ張られ、ずんずん進んで行く男の背中を呆然と眺めながら歩いて行った。
その男が、今の私の主だ。
私の歌声が、今は亡き鳥に、可愛がっていた特別な鳥の鳴き声にとても似ているという、そんな理由で買い取ったのだ。
だから、男の愛したモノの代替品として購入されてしまった私は鳥なのだ。
それ以上でも以下でもない。鳥として生きている。
あれから八年が経ち、私はこの屋敷で、ある意味とても優雅に暮らしていた。
彼の望む鳥として唄を奏でる毎日。
日々は穏やかに過ぎ、何一つ問題は起こらない。正直に言えばとても退屈だった。
そう、主となった男の、もうどうすることも出来ない哀惜に絡め取られたまま、私は生きていた。
▲
この国の王に仕えている重臣、クルス・クレフェーザ。
彼が、私を鳥として飼っている人物で、この屋敷の主だ。
王の覚えも良く、あと数年もすれば大臣に任命されるだろうと噂されているらしい。
私には信じられないけれど、使用人たちがそう教えてくれたのだ。
冷静沈着、切れ者、無表情で恐ろしい。女も男も嫌いだと公言するほどの人嫌い。
王の重臣として有名過ぎる男は、そう世間で噂されているようだ。
(いや、それ誰のことよ?)
この屋敷、いや、私の傍では真逆に振舞っている男と本当に同一人物なのだろうか。
子供のように私に歌を唄うことを強要し、その歌を聞きながら眠りについている。
大きな図体で、床に敷かれた幅広の動物の毛皮の上をゴロゴロと何度も何度も寝っ転がる。
そんな男の一体どこが切れ者なのだろう。
部屋の壁に鉄の棒を張り巡らし、部屋全体を籠に見立てて人間の女を鳥として可愛がる。
人として間違っている男が、本当に王の覚えが良いのか。
ホント噂って信じられない、と思う私だった。
色彩感覚は悪くないというのに、何故だか私に与えられる服はフリルや花の飾りが付いた子供っぽいものが多かった。
それだって、昔の私にしてみれば贅沢過ぎるのは確かだけれど。
「シェン、おいで」
病気で亡くなった鳥の名前で呼ばれて、私は小さく溜息を吐くとクルスに近寄っていった。
この八年、彼は私をシェンと呼び続ける。おかげで私は元の名前も忘れ掛けていた。
けれど、それが何だと言うのだろう。
彼が私という鳥に飽きるまで、籠の鳥として生きていくしかないのだ。
名前など持っていてもしょうがない。そうでしょう?
勿論、偶に大きな声で思い切り叫び出したくなる事もあった。
「私は人間なの! 鳥なんかじゃないっ! ・・・私を、私を見てっ」
でもきっとそう叫んだ瞬間、彼は私に飽きて振り向かなくなるだろう。
彼が欲しているのは、鳥なのだから。
子守唄を唄った後は、眠りについたクルスの顔を見つめるのが日課になっていた。
どんなに凝視しても起きない男に、私は信用されていると誤解している時期もあった。
ただの鳥でしかなく、私を人間として認識していないだけだったというのに。
王から妻を娶れと苦笑しながら言われたと、私を押し倒しながら呟くクルス。
三年前から彼は私と身体を重ねるようになっていた。
唄声とは別の啼き声が聴きたいと言って。
「いやっ。や、だっ。い・・・ぃひっ、ひっ、ひうぅ」
身体をクルスの胡坐の間に落とされ、大きく勃起したモノが背中に当たった感触に怖気づいた。
濡れたそれが私の纏っている柔らかな布に淫液を浸み込ませていくからだ。
胸の頂きを摘まれて嬌声を上げていると、私の両足を掴んで大きく開かれてしまった。
頭を振って拒むけれど、鳥には拒絶することは許されておらず、いつものように限界まで拡げられてしまった。
その状態のまま体が持ち上げられ、ズブっと太いモノが私の中へと入り込んでいった。
「ぎっ、いぃぎぃいいいいいいいい~~~~っ。 ひぃ、ひっ、いぎぃい、いぎいいいい~~~っ!」
全てがズッポリと埋まり、私はピクリとも動くことが出来ない。
少しでも動けば、限界まで拡がった秘所が切れて血が流れるに違いなかった。
私の気持ちなどお構いなしに、クルスは私の腰を掴んで軽くモノを引き出すと、次の瞬間、腰から手を離して奥深くまで貫いてしまった。
「ひぎゃ、ぃぎゃあいいいいいいい~~~~~っ! ひぎいっ、ぎぃっ、ひぎぃ・・・っ 」
「いい声だ。お前の啼き声が一番耳に心地いい。ここと同じように、な」
そう囁き、繋がっている場所を指でなぞってくる。
「や・・・っ・・・。いぃやあぁ~~っ。ひいっくっ、うくっ、うぃやぁあ~~~っ。・・・やぁだぁ・・・」
涙が頬を幾重にも濡らしながら零れ落ちていく。
その涙をクルスが長い舌で掬い取ると、私の唇を強引に抉じ開けて差し込んできた。
何度もされた行為だから自然にそれを舌で受け取って飲み込んでいた。
クルスの舌と自分の舌を絡ませてネットリと唾を交換しあう。
堅く尖った両方の乳首をキツク抓られ、痛みとも快感とも言えない甘い何かが背中をスーっと走っていった。
慣らされた行為の結果か、それとも私が淫乱なのか。
鳥を可愛がる男の手と指で、舌や大きなモノで私の身体はクルス一色に染まっていく。
まるで歌を唄っている時のように。
そう遠くない将来、彼は私を捨てるだろう。
王が選んだ女性、きっと地位も権力もある重臣の息女を正妻に娶るに違いない。
その女性は、私の母と同じように私を邪魔だと思うだろう。
私はまた居場所を失くすことになる。
この寂しい男の傍で過ごす、穏やかな生活から切り捨てられて。
そう、私は鳥。
彼を一時慰めるだけのモノ。
本物の家族には叶わない。
大丈夫。大丈夫よ。
私は泣いたりしない。涙を流すのは快感のせい。人間だからじゃない。
彼が望んでいるのは鳥の啼く声だけ。
だから、さあ。
彼の手の動きに、目蓋を舐める優しい舌の動きに集中して。
私を中から突き殺そうとする大きなモノ。それが与える刺激に身体を委ねるのよ。
彼の望む歌を身体全体で唄うの。
貴女は。
私は。
人間の感情に揺らされてはならない。
鳥にも、・・・彼にも、そんなもの必要ないのだから。
▲
目前の揺れる姿態に魅せられて、いつものように張り切り過ぎてしまったようだ。
「うひいぃ・・・っ・・・。ひっ、ひぃぎぃい~~っ。はっ、はぁっ、はっ、はあぁ~~っ。・・・やっ、やだっ、・・・いやぁ、あっ、ああ~~っ」
俺の突き入れに合わせて身体を揺らしていたシェンは、やがて快感で意識を飛ばし失神してしまった。
(ふう。またヤリ過ぎたか)
可愛い啼き声と相性抜群の身体に、ついつい気を失うまで攻め立ててしまう。
そう、身体を限界まで拡かせて我がモノにしたその日から。
最初は本当に鳥の代わりとして、ただ気紛れに飼ってみただけだったのに。
いつから、ここまで囚われたのだろうか。
王の覚えが良いということは確かに嬉しいことだが、他者から敵視される事態の原因となってしまった。
当然それによって必要以上に気を張ることもあり、実際、毎日が煩わしくて仕方がなかった。
誰とも話さない彼女の傍は安心出来て、幼い時でさえ親にも見せなかった怠惰な部分を自然に曝け出していた。
(まあ、バラされたとしても誰も信じないだろうが)
最近は、愛妾の一人も持っていないことが逆に他家にとっては目に付き易いのか、望まぬ縁談を持ち込まれることも増えてきていた。
ついには、王にさえも妻を娶るといい、と言われてしまう始末。
(どの口が言うんだ、まったく)
王自身は正妻が大嫌いだと公言して、隣国から贈られた愛妾に愛情と金品を渡し続けている。
その正妻である王妃さまがお産みになった後継ぎ王子と第二王子は、現在せっせと愛妾の元に暗殺者を送り込んでいて、秘密裏に撃退するのが大変なのだ。
(ああ、面倒くさいっての、ほんとに!)
まずは、自分の不始末を何とかしてから臣下である俺のことに口を出して欲しいものだ。
いや、そうすると愛妾を王妃にしてしまいかねないな、と嫌な考えが過ぎってしまった。
人嫌い、女嫌いを前面に出して牽制してきたが、そろそろ時間の問題だろうか。
(親からも煩わしいことばかり言われるし。・・・仕掛けてもいい頃合いか)
誰にも知られないように囲っていたシェンの存在を、それとなく広めることから始めるのがいいだろう。
彼女の存在から女性は大丈夫そうだと、一気に縁談の申し込みが増えるかもしれないが、その時は逆にシェンを前面に出して断ればいい。
そのうち、愛妾から正妻にするつもりだと。
親や親戚、関係ない外野がいろいろと言ってくるだろうが、どうでも良かった。
王にさえ話を通していれば何の問題もない。
きっと自分と同類だと仲間意識を持たれてしまうだろうが、そこはキッパリと否定したいものだ。
(一番の難関は、やはりシェン自身か。未だに自分は鳥だと思っているからな)
この屋敷の者たちは、俺の態度でシェンのことを愛妾だと理解しているようだった。
それはそうだろう。確かに俺は鳥のシェンを可愛がってはいたが、一日に一度声を掛ける程度だったのだから。
綺麗な囀りと美しい容姿が気に入っていたが、結局はそれだけだ。
初めて彼女の歌を聴いた時、その声がシェンに似ていると振り返った。
だが、金で彼女を買い取ってこの屋敷に閉じ込めたのは。
普段の俺とは掛け離れた、俺じゃない俺。
いや、自分の欲しいものを見つけた純粋な俺だったのだろう。
身体と心が成長するのを待つのが辛くて、これは鳥だと彼女にも自分にも言い聞かせてきた。
迂闊に手を出して怯えさせないように慎重に、俺らしくもなく気を使って。
(結局、我慢出来なくて数年で手を出してしまったが)
部屋を鳥籠のように改装し、誰にも見せないように、自分だけが彼女の目に映るように閉じ込めてきた。
(ようやく。そう、ようやく彼女を表に出せる)
鳥の存在から人間の女性に、俺の愛妾に身分を変えるのだ。
順当に正妻の地位へと上げるのには時間が掛かるだろうが構わなかった。
彼女を籠から出した後は、吟味した者に教育を任せなくてはならないだろう。
理由を訊かれたら、こう答えよう。
「親族が煩いのでお前を愛妾にした、と報告しておいた。これで俺は伸び伸び出来る。お前は一応人並みに作法を覚えろ」
呆れてから怒ってくるかも知れないが、習い事一つしていないのは以前に調査済みだった。
きっと不満顔の裏で喜ぶに違いなかった。
俺が選んで与えている小説や我が国の歴史書などを辞書を使ってまで読み込んでいるのだから。
そう、ゆっくり、ジワジワと包囲していくのだ。
今までと変わらず、それでいて俺の特別なものだと理解するように。
気を失った彼女の手を取り、その小さな、けれど形良く整った指に用意していた指輪を嵌めた。
我が家の紋章入りのそれを。
決して、鳥は持つことの出来ないもの。
目覚めた彼女は指輪を見て、どんな反応を返すだろうか。
怖いような、楽しみなような。
(泣いてもいい。怒ってもいい。最後に笑ってくれ)
俺を知るものが聞けば呆然とするだろうことを思いながら、俺は俺の一番大事な女性の頬へ小さな口づけを贈った。
「シェン。いや、ミリーナ。これからもずっと、お前は綺麗な歌を唄ってくれ。俺の傍で共に死ぬまで」
今までは言葉に出来なかった名前を、思いを紡いでいく。
「欲しがるものは何でも与えてやるよ。お前が本当に望んでいる家族だろうとな」
居場所を欲しがる彼女の寂しい目を、満たされたものだけが放つ輝きで彩ってやりたい。
そして、その目で俺を、俺たちの子を見つめて欲しい。
「幸せにすると誓おう。ただ一人だけ、愛するお前だけに」
俺は小さく呟いて、最愛の女の指へと唇を寄せていった。
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