【 肌で感じるままに 】 初出-2013.07.27


彼女の掌から零れ落ちるガラス玉。
それらは床を暫らく転がり続けると、窪みに挟まって止まった。
赤や青、黄色に緑。ピンクや紫、それ以外にも鮮やかな色が玉の中で流れて固まっている。
先日の夏祭りで彼女が買ったものだろうか。何となく見覚えがあった。
そう、あの時はカップルのように仲の良い二人を遠くから見ていることしか出来なかった。
でも、今は。
こうして、すぐ傍に彼女が居る。
唇を噛み締めて、悔しそうな、それでいてどこか困ったような顔で。

いつも彼女を見ていた。見ずにはいられなかった。
どうしようもなく惹かれていたからだ。
彼女の好きな食べ物も嫌いな食べ物も知っていた。
学校での成績が優秀なのも、男子学生によく告白されていることも。
趣味も嗜好も考え方も、確認出来る範囲で分かっているつもりだった。

だから、その表情を見る度に、俺は意味が分からず戸惑ってしまう。
今の彼女に相応しい表情は、憎しみと嫌悪だけ。
それだけの筈なのに、と。
俺は、彼女にとって強姦魔でしかない。
それも週に何度も襲ってくる恐怖の対象だ。

大人しい彼女の抵抗など無抵抗と何ら変わらず、俺はいつでも簡単に身体を押し倒していた。
今日も一人になったのを見計らって、この部屋へと連れ込むことに成功し、良い匂いのする身体を引き寄せると唇を奪い、舌を絡めた。
飛び散るガラス玉に一瞬だけ気を引かれたが、もっと馨しいモノを手に入れようと彼女の身体を床に引き倒していった。

あの表情のせいで何故か胸がザワついて仕方なかった。
だが、目前の獲物をこのまま逃がすことなど出来ない。
こんな状況が続くのも、どうせあと僅かなのだ。
いずれ誰かにバレるし、罰を受けることになるだろう。
もしバレなくても、卒業したら会うことはないと俺は知っていた。
そう、知っているのだ。



自分の部屋の中なのに、どこか別の家に居るようなヒンヤリした青白さを感じていた。
いつもより遅い時間にベッドへ入ったからだろうか。
静寂は、全てを冷たく感じさせることがある。
家族から愛され、学校の皆とも仲良しで卒業後の進路もすでに決まっていた。
何の不満も不自由もなかった。
それなのに、こうして部屋に一人でいると虚しくなることがあった。
私は本当に幸せなのだろうかと。

戦争もない幸せな国で過ごしているくせに、何て傲慢な考えだと人は言うだろう。
まだ若いから自分の幸せがどれほど価値あることなのか分からない愚か者だと。
多分、その通りなのだろう。

高校最後の年になって、私に悪魔が近付いて来た。
とても恐ろしい獣の姿をした悪魔が。
それから逃げたいと何度思ったか分からない。
卒業までの辛抱だからと、枕を濡らして眠った日々。
終りの日を知っていたから頑張れた。

この先だって、信じられないことが降り掛かる可能性もあるだろう。
高校にも行けず就職する人もいれば、結婚しても虐待され、それでも必死に子供を育てている人だっているのだ。
皆、歯をくいしばって生きているというのに。
もうすぐ悪魔から逃げ切れる私は何を怖がっているのだろう。
汚れてしまった身体でも幸せになる資格はあるはずだ。

薄い藤色のカーディガンが、すぐ傍の椅子に掛かっていた。
最近は、気が付くと無意識にこのカーディガンを見ている気がする。
でも、これを買ってくれた人物を考えている筈はない。
何故なら、彼は私にとって唯一絶対の悪魔なのだから。
考えるのもおぞましい、酷いことを私に何度も何度も強要してきた、その人なのだから。


最初、彼はただの同級生でしかなかった。
中学から一緒だったけれど、一度も同じクラスになったことはない。
話をしたことさえ、数えるほどしかない。
囚われ、嬲られ、そこから逃げ出せた今だって、意味のあることを話した覚えはなかった。

高校も三年目になり、進学する大学も決まってホっとしていた私は無防備すぎたのだろうか。
成績に問題はなく無事に合格出来る自信を持っていたから、背後から見つめる視線に気付けなかったのだろうか。
夏休みを過ぎると、同級生たちは皆、進学と卒業を意識してどことなく落ち着かないようだった。
ある友人は休み時間でさえ問題集を手にしてブツブツ呟き、普段フザケて騒ぐのが好きな同級の男子でさえ真面目に教科書を捲っていた。
そんなある日、私の身に思いもよらないことが起こった。

イトコの譲(ゆずる)と廊下で別れ、家に戻ろうと一階まで階段を下りて行った。
右へ行けば保健室、左へ行けば下駄箱が並んでいる玄関がある。
当然、私は左へと曲がろうとした。
帰りに雑貨店に寄って帰ろうかな、と考えていたせいで他人の気配に気付かなかったのだろう。
背後から大きな手で口を塞がれ、そのまま引き摺るように廊下を歩かされていた。
「ん~~~っ、んっ、んん~~っ」
怖かった。手の大きさと力強さに、相手が男であることが分かる。
学生なのか、それとも先生なのか。
恐怖に襲われている私にはそれさえも判断が出来なかった。

ここは学校で、学生が大勢いて、先生だって数え切れないほどにいるのに。
必死に周囲を見回しても誰もいない。
私を助けてくれる人は誰もいなかった。
絶望に涙がボロボロと零れていく。
相手が無言を通しているのが余計に怖かった。

ガチャガチャと金属音がした後、ガラっと扉の開く音が聞こえてきた。
涙を浮かべていた目に見慣れた景色が映り、ここが保健室だと気付いた。
(いやっ、いやよっ。だ、だれか、誰かっ)
鍵を開けたのだから他の誰かが居るはずもないのに、ひたすら助けを求めて私は首を振り続けた。
背後に立っている人物を確かめることも、逃げる為に足で相手を蹴ることも忘れて。

内側から鍵を掛け終えた男が、
「お前は、もうちょっと抵抗した方がいいぞ。俺がいうのも間違っているが」
呆れたように言うと私の腰を抱き寄せようとする。
聞いたことのない声だった。それでも生徒だということだけは分かる。
(何故なのっ。な、なんでこんなことっ。いや、いやよっ、放してっ)
大きな掌の体温が気持ち悪かった。
昔ならばともかく、父親でさえ今ではこんな風に身体に触ることはない。
赤の他人に、それも同じ学生に捕まった。
その事実が今更ながらに私を絶望へ追いやろうとしていた。

グイっと引き摺られ、二つ並んだベッドの一つにうつ伏せのままで押し倒された。
その瞬間になって、ようやく自分が何をされるのかに気が付く。
「ひっ! ひっ、い、いぃいやぁあああああああああ~~~~っ」
身体全体を乗せようと手を放した男から逃げるようにして叫んだ。
「ちっ、少し静かにしてろ。……お前だって強姦されているとこを他人に見られたくないだろう?」
再度、大きな掌で口を塞がれ、耳元に囁かれた言葉に、ヒクっと身体が固まってしまう。
「それに、助けが来たところで俺が否定したらそれで終わりだろうな。お前も優等生だが、俺だって同じように教師のウケは良いからな」

男の残りの手が私の胸元へと潜り込み、シャツのボタンを外すと指がブラの前ホックを探ってくる。
「互いに気が高ぶってセックスしていただけだ。そう教師に言えば同罪になるさ」
違う、私は被害者だとそう言いたいのにブラの前が外され、男が器用に片手で胸を弄ってきてパニックになる。
(ひぃっ! い、いやぁあああああ~~~っ。だ、だめっ、駄目よぉ~~っ)
何度も何度も胸を揉まれ、乳首をギュっと潰されて痛みに涙が零れ落ちた。
やがて、その手はスカートに移動すると、チャックを外し始めた。
それだけは嫌だと、腰と脚をバタバタと動かして必死に抵抗したのに、あっさりと外れていく音が耳に響いた。

「いい加減に諦めろ。騒がずに大人しくしていれば優しくしてやる。一度でも大きな声を出したら」
淡々と静かな口調の男が、淡々と恐ろしい言葉を紡いでいく。
「……そうだな、お前を紐で縛った後で純情そうな下級生を捕まえて、代わりに犯すのも面白いな。勿論、その後でお前も犯してやろう」
選ばせてやるよ、そう囁かれて絶望した。
どちらにしても私は犯されるのだ。しかも、抗えば別の生徒が同じ目に遭うという。
(どうしてっ、どうして私だけがっ! いやぁ、いやぁ~~っ)
ガタガタと震える身体が告げていた。他人などどうでもいいと。逃げる為に必死に抗うべきだと。
それでも止まらない涙をそのままに、私は小さく頷いていた。


初めての行為は背後から。相手の顔さえ分からなかった。
弄られる身体。絡み合うように回される脚。興奮する男に連動するように揺れた腰。
長い長い時間は精液を中出しされてようやく終わった。
満足の溜息を吐いた男は、私の腰と背に手を掛けると身体をひっくり返そうとする。
もうどうでも良かった。痛む身体も汚された事実も。
二度と元には、綺麗な体には戻らないのだから。
相手が誰だって、もう何の意味も持たない。
そう思ったのに。

仰向けにされて見えた顔。それは。
優等生だと言っていたのは間違いじゃなかった。
確かに彼のことを、全ての教師が優等生だと言うだろう。
学年で一、二を争う学力の持ち主だった。
大人びた態度で常に淡々としており、同級生のみならず下級生からも頼りになると評判も良い。
たとえ彼が嘘を言ったとしても、皆が疑うことなく頷くだろう。
私がどんなに本当のことを訴えたところで誰も取り合ってはくれず、逆に嘘つき呼ばわりされる筈だ。
「ど、して? どうして、小木くんがこんなヒドイこと……」
最後まで言えない私の問いに薄く笑うと、
「別に、一度犯してみたいと思った。それ以外に意味などないな」
普段と変わらない淡々とした物言いなのに胸が痛くなる。

知らない人ならまだ良かった。それなのに。
話したことなど皆無に近くても、相手は自分の学校の有名人だった。
仲の良いグループも部活も趣味も全てが違うから、遠くから見ていた人。
そう、少しだけ格好良いと思っていた相手。
好きなんてものじゃなくて、大人びた口調と堂々としている態度に好感を持っていた。
私の仲間内でも評判が良くて、告白しようかな、と冗談めかして言う子もいるのだ。
「声で正体がバレていると思ったが、まさか今頃気が付いたとはな。……それだけ、俺には興味がないわけだ」
上から覗き込まれて怖くなった私は、彼から逃げるようにシーツの上を後ずさろうとした。
でも、その身体を強引に元の位置へと引き戻されてしまう。
あまつさえ、伸びてきた手は濡れたままの下腹部をなぞるように動いていくのだった。

くちゅ、くちゅ、と恥ずかしい音が静かな保健室の中で響いていた。
「いやぁ、やめてっ、やめてぇ~~~っ」
二本の指が股間を弄るように動き回ると、濡れている蜜壷の中に入っていった。
無造作に動く指が気持ち悪くて、つい約束を忘れて悲鳴を上げてしまう。
「やぁだあぁぁ~~~~! いやっ、いやあぁ~~っ・・・」
すぐに大きな手で塞がれ、
「そんなにもう一度犯されたいのなら、望み通りにしてやるよ」
罰っして欲しいんだろ、と耳の中を舌で舐められて身体がビクっと震えたのは恐怖からに違いない。
決して感じているんじゃない、そう思うのに自分でも分からないモヤモヤした何かが体の中心で蠢き始めていた。


あれから、数えるのさえ意味がないほど小木くんは私を誰もいない場所に引き摺っていった。
「お願いっ。もう許してっ」
一度だけだと思ったのに、どうしてまだ続いているのだろう。
そして、どうして私は諦め気分で言うことを聞いているのだろう。
彼が憎くて、大嫌いで、怖くて、顔を見るのさえ嫌なのに。
登下校には前後を確認し、休み時間には出来るだけ外に出ないようにして、彼と会わないように気を付けているのに。
抵抗も言葉だけで、足は彼の後を素直に付いて行くのだ。

今更、誰かに助けを求めるつもりなどなかった。
イトコの中で一番頼りになる譲にだって言えない。
同級生に何十回も身体を奪われている、なんて。
小木くんは普段と何も変わらない学校生活を送っていた。
でも、何故か時々鋭い視線で睨まれることがあった。
そのほとんどは私が譲と一緒に居る時で、きっと助けを求めようとしていると思ったのだろう。
あんな風に怖い目で見なくても、そんなこと出来る筈もない。
嫌なのに、徐々に慣れていく身体。
時には、知らずに自分から腰を振っていることもあって、気付いた瞬間、真っ赤になる顔を小木くんが面白そうに見ていた。

冬が近付いても私たちは変わらずに身体を重ねていた。
犯されるように襲われたのは、最初の一回だけ。
二回目からは誰もいない場所に引き摺られ、耳元で脅すように囁かれた。
「へぇ。したくない、か。大嘘つきだな。あんなに腰を振って喜んでいたのはお前だろう」
何故こんなに図々しい態度と言葉で私を貶めるのか分からなかった。
あの一回で終わる筈じゃなかったの?
「……俺では満足出来ないと言うなら、お前にフラれた奴でも連れて来るとしようか」
何人連れて来ればいいんだ、と上から覗き込まれて、私に何が出来るだろうか。
誰も知らない、見たこともない裏の顔で脅してくる小木くんが恐かった。
それに抵抗出来ずに流されていく自分も。



どんなに身体を奪っても、一向に心は手に入らなかった。
それは当たり前のことだし、俺も望んではいない。
だから、俺を見る彼女の目が常に怯えていても、それが普通であり辛いとも思わなかった。
週に何度も彼女を間近で見ることが出来るし、身体まで自由にさせてもらっているのだ。
これ以上を望むなんて傲慢だと分かっていた。
一度くらい笑う顔を見てみたいとは思うが、さすがにそれは無理だろう。
こうやって、冬の冷たい風が吹き抜ける海岸に連れ出せたことに驚きだし、満足するべきだ。

予想以上に海の風は強く肌寒かった。
「この時期に風邪を引かせたら、お前のイトコに殺されるな。部屋に戻ろう」
彼女と仲の良い男のことなど考えたくなかったが、アイツは俺と彼女の関係にどうやら薄々気付いているらしい。
俺と彼女が内緒で付き合っていると思っているようだ。
卒業も迫った今、アイツは自分のことで精一杯らしく、何かをすることはなかった。
それでも、視線が合う毎に何か言いたそうに俺の方を見ていた。
きっと、男ならさっさと公表しろと言いたいのだろう。

正直に言ってあのイトコは愚かだと思う。
こんなクズな俺に振り回されている彼女の様子に何かを感じている筈なのに文句の一つも言わないなんて。
最初は二人が付き合っていると思っていた。
学校でも噂が立つほどに仲が良かった上、二人とも告白される度に断っていたからだ。
勿論、今ではそれが間違いだと知っていた。
彼女の最初の男は俺であり、その後の態度からも彼女に男の影は見られない。

ただのイトコであろうとも、彼女が泣きついたら家族や親族によって俺は警察に突き出されるだろう。
それならそれで構わなかった。
一生消えない傷を、彼女にはすで付けていたからだ。
(犯罪者の都合の良い言い訳だな)
愚かなのは分かっていた。
それでも、まだ自分から手放すことは出来なかった。

イトコに殺される、という俺のセリフに首を傾げた彼女は、何故この場にイトコが関係するのか分からないようだった。
だが、説明してやるつもりはない。
「行くぞ」
強引に腰を引き寄せ、片腕を回して、ワザと下腹部に手を滑らせた。
一瞬だけのソレに感じたのだろう、彼女が身体を震わせていく。
もうこれだけで何も考えられなくなることは分かっていた。
この後、予約してあるホテルの部屋に戻って抱き合うこと以外は。


ホテルに来る途中、せめて一度でいいから何かを彼女に贈りたいと色々な店に入ってみた。
この短い旅行に誘ったのは、泊まりでセックスを愉しむ為だと思っていたのだろう。
店に入る度に、不思議そうな顔で俺に付いて来ていた。
目に止まったモノを手に取り、一緒に眺めている彼女の表情を横目で確認しては、これでは駄目だと元に戻すことを繰り返していく。
結局、プレゼントを決めることが出来なかった俺は、ここが海の近くで風も強かったのを言い訳に、彼女にカーディガンを買い求めた。
「さっさと好きなのを選べ」
ワザと傲慢な物言いをして、彼女が怯えて頷くのを待つ。
選ばないと怒られると思ったのか、形の違う数種類の中から一つを選んだ後、彼女はそこから更に藤色の物に取り替えていた。
綺麗な色だな、とでも言うべきか一瞬悩んだが、何となく自分の頬が緩んでいるような気がして俯いたまま俺はレジへと足を向けた。
背後から続く足音はゆっくりで、嫌々付いて来ているのだ、プレゼントが喜ばれていると勘違いするな、そう伝えるようだった。
一度だけ何故か横に並びそうなほど近づいて来たのに、また背後に戻ってしまった時は胸が痛んで仕方なかった。


兄に頼んで予約してもらったホテルは先にチェックインを済ませていた。
店に何度も入ったせいで疲れていたのだろう、彼女は部屋に入るとソファに座って息を吐いていた。
ツインではあったが二人して無言でいると狭い空間に閉じ込められたような気がして息苦しかった。
数分は我慢出来たが、お互いに仲良く喋るタイプでも関係でもない為、沈黙が苦しい。
「俺は食事の前に海岸で散歩するつもりだが、お前はどうする? すぐに抱いて欲しいなら付き合うぞ」
試すように告げると、慌てたように彼女は言った。
「さ、散歩がいい、です」
コクコクっと何度も頷くのが可愛かった。
財布と携帯だけを持って部屋を出よとしたのだが、彼女が少し待ってくれと言う。
振り返った俺の目に、ガサガサと袋を開くと中から例のカーディガンを取り出していく。
まさか着てくれると思わなかった俺は、驚いて声も出せなかった。
どうせ、家に戻ったらゴミとして捨てられると思っていたからだ。

ホテルマンが、出掛けようとする俺たちに、
「この時期の海岸は凍える寒さですよ。町の方に散歩に行かれる方が宜しいかと思います」
有り難い忠告だとは思ったものの、俺は彼女を連れて海岸へと向かった。
いずれ俺の顔を彼女は忘れるだろう。過去の忌まわしいモノとして。
それでも、凍えるような寒さは忘れることは出来ない筈だ。
テレビや雑誌で冬の海岸を見る度に、嫌でも思い出すことだろう。
(愚かだな)
見っともない感傷だと未来の自分を笑う俺の横で、彼女は寒がりながらも冬の冷たい波と岸壁を飽きもせずに眺めていた。



海辺近くのホテルでの宿泊も、私たちの関係を変えることはなかった。
二月に入り、学校の友人と会うことも少なくなっている。
小木くんも忙しいのだろう。私を呼び出す回数が段々減っていった。
希望の大学へ進学する私は疼きを覚えるようになった身体への不安と、小木くんとの関係に気持ちがザワザワする毎日を送っていた。

久しぶりに呼び出されたある日のこと。
小木くんはすぐに自室のベッドへと私を押し倒してきた。
初めての時を思い出すような、どこか焦った気配を漂わせた彼に私は戸惑う。
優しくはなくとも乱暴さを見せることもなかったのに。
いつだって彼は淡々としていて。
嬲られ、熱に浮かされて喘ぎ始めた私を確認してから勢いを強めていた。
脚を強引に開き、蜜壷を限界まで指で拡くのも、私が感じるまで唇や舌で嘗め回してからだった。

揺れる。落ちる。流れていく。
涙でぼやけたこの目にも、自分の腰が淫らに身動き、脚を絡めて男を欲する愚かさを全身で表わしているのが分かっていた。
腰に届くまで伸びた髪が汗に塗れて気持ちが悪い。
だけど、それを気にする余裕はすぐに消えていった。
あんなに嫌いな男だったのに、悪魔だと罵っているのに。
何故、この身体は彼を欲するのだろう。
今でも怖くて堪らないのに、何故こうしていると落ち着くのだろう。
自分で自分が分からなかった。

私の頬に伸びてくる手を見つめながら、数日前に父からお見合いの話を聞かされたことを思い出していた。
相手はどんな方なのか、何をしている方なのか。
普通ならば尋ねるだろうことを私は一度もしなかった。
それは小木くんの顔が浮かんでしまったからだ。
「まぁ、高校卒業を控えた未成年者に見合いさせるのもアレだと、相手も言っていたしな」
まだその気はないと感じたのか、父は別の話題を私に振ってくれた。
優しい父に微笑みながら、何故、彼の顔を思い出したのだろうと考える。
胸にモヤモヤする何かが私を急かしている気がした。


腰を抱かれ、唇を塞がれて。
くちゅり、くちゅっ。ちゅっ、くちゅ。
耳朶が、頬が赤くなっていくのが分かった。
嫌なのに。こんなことしたくないのに。
こんな人、大嫌いなのに。

縛られたことは一度もなかった。
快楽に負けてしまう私に酷い言葉を投げることはあっても、身体を傷付けられたことはない。
この身体を使って小木くんの性欲を満たせれば、それで充分なのだろう。
どうして私が目を付けられたのか、それさえ分からないけれど。
自室の椅子に掛けてあるカーディガン。
そして彼の私に対する態度を考える度に。
憎みきれない自分がいることを自覚しない訳にはいかなかった。

幾度も向きを変えながら重なる唇。
くちゅ、ちゅぶっ。くちゅり。
いつからか、この濡れた恥音が身体中を熱くさせていく。
脅迫され、もう逃げられないと頷いて目を瞑った、あの日から私は彼のモノだった。
自ら檻に入った愚かな獲物。

頬を大きな手が滑っていく。
首筋を撫でた後、唇に指が触れ、中を抉じ開けるようにして囁いて来た。
「何を考えている? この程度じゃもう足りないと言うのなら……」
下腹部を無遠慮に触られて怖気が走った。
「いやっ、いやぁ。や、やめ、て……。ひっ、ひぎぃ~~~っ」
何度も強めに嬲られて、ようやく小木くんが怒っていることに気が付く。
考え事をしていたのが悪かったのだろう。
(でも、でも、無意識だったのに)
もう触らないで、と訴えて逃げようとしても強い腕力に叶う筈もない。

ちゅっ、ちゅぶっ。
ぴちゅ、ちゅっ、ちゅっ。
蜜壷を弄られながら唇を吸われ、舌を絡み取られて頬が真っ赤に染まっていく。
じっと動かないで我慢しているのに気を良くしたのか、小木くんの口付けが深くなっていった。
それからどれほど上と下を同時に弄られたのだろう。
息も絶え絶えになった私に気付いた小木くんが、ようやく口付けを解いてくれた。
下腹部の指だけは離れることなく何度も何度も濡れた場所を蠢き続けている。
「あっ、あぁあああああああ~~っ!」
指だけでイクのが嫌で、頭を必死に振っては意識を快楽から逸らそうとした。
「俺に逆らうのか」
淡々とした声が聞こえて来てハっとする。
彼が望んだモノを拒んだら、結局は自分に跳ね返ってくるのだと。

それからは、ひたすら小木くんの与える熱に身を任せ、痴態であろうと全てを晒し、彼を受け入れて中に精液を注がれるのを甘受した。
以前も何度か彼の望みに抗った所為で第二ラウンドに持ち込まれていた。
一度目だって長時間で恐ろしいほど濃密なセックスなのに、二度目はそれ以上に時間を掛けて嬲られるのだ。
嬌声を上げて狂う私を見られるのが恥ずかしかった。
憎んでいる筈の男に足を絡め、自ら腰を振って強請るのを嫌でも覚えている。
気持ちが良くて、もうどうしようもない程に小木くんを欲する愚かな身体。

気が付いた時には嵐は止み、部屋の中は静寂を取り戻していた。
満足したのだろう、小木くんが私の髪を梳きながら唇に口付けを降らせてくる。
穏やかなこの時間が慰めだった。私の身体が目当てだとしても。
ハッキリと優しさを感じられるのは今だけだから。
興味ないと言わんばかりに、私の名前を、苗字すらも呼んでくれないことが悲しかった。
私には身体しか必要がないのだろう。
小木くんは絶対に『お前』としか呼ぼうとはしない。

もうすぐ卒業式だった。
せめて、一度でいいから最初のことを謝って欲しい。
その後のことは、怖かったとしても抵抗せず快楽に流された私も悪いともう分かっている。
だから、お願い。
私の名を、苗字でもいいから呼んで欲しい。
最初はともかく、今の私を小木くんはどう思っているのか、それだけを知りたかった。

お互いに、別々の街で暮らすことが分かっている。
そして、多分、二度と会わない。
会っても言葉を交わすことはきっとない。
そう肌で感じていた。



彼女の背後で、雑多なモノが動いていた。
着飾った男女やボサボサ髪の若者。のんびり歩く老夫婦。
いい匂いのする店先からは白い湯気が上っていた。
本当は、もっと早い時期に彼女を逃がしてやるつもりだった。
だが心と裏腹に、いや心は正直で、いつまでも俺は彼女を欲して極上の身体を味わっていた。
愛されないなら憎まれたい、と犯罪人さながらの言い訳を繰り返して。

最後の場所は、やかましい音楽が鳴り続けるパチンコ店の前。
長時間、俺と一緒に居るのは嫌だろうと、早口で必要な言葉を紡いでいく。
「いいことを教えてやろう。俺は外国に留学することにした。出立は来週早々だ。お前に会うのも今日が最後だ。……悪かったな」
昨夜、眠ることが出来なくて何度も復唱した言葉だ。
本当を半分、嘘を半分。
謝罪を入れるのは悩んだ。謝りたくない訳じゃない。
謝っても償えないのは馬鹿でも分かる。
ならば、彼女の心に『憎い男』として僅かでも残っていたかった。
それなのに惨めな俺は、弱くて卑怯な俺は謝ることで彼女の心に一瞬だけでも謙虚さを刻み込もうとしてしまった。
まぁ、絶対に無理だろうけれど。

普段と変わらず立っているだけで手を伸ばしたくなる彼女を再度じっくり見下ろすと、呆然とする様を目に焼き付けて足早に歩き出した。
開いた扉から騒音とタバコの煙を吐き出したパチンコ店の中へと。
退屈そうな男の背後を通り、鼻歌まじりの若者の横を通って裏口を抜けていく。
小さなドアを開けた瞬間、冷たい風が俺の体へとぶつかってきた。
突き刺さる風は鋭かった。彼女の化身のように感じるそれが俺には嬉しい。
フっと笑った後、全てを吹っ切るように目を閉じた。
終わった、そう思ったのも束の間、彼女の姿が瞼に浮かぼうとする。
(いや、忘れるなんて無理だな)
諦めの悪い男だと改めて自覚した俺は顔を上げて歩き始めた。


完全に繁華街を抜けると地下道へ入った。
あとは地下鉄に乗って短期契約している部屋へ戻ればいい。
30分ぐらいなら休憩出来るだろう。
手荷物一つ持って空港へ行き手続きを終えれば気も休まるだろうか。
家族と引越し業者に後を頼んでいるから家具など大きいものは実家に届けられて終わりだ。

家族からは、外国ならばまだしも、何故離島で暮らすのかと問い詰められたが、そうしたいからだと押し切った。
すねかじりするのが嫌で、その土地での就職も何とか決めておいた。
一人で暮らすのは今と同じだから、それほど家事に困ることはないだろう。

彼女の顔が脳裏から離れなかった。
追い掛けてくれるなんて甘い夢は持っていない。
それでも、憎い男に最後の罵声を、いや怒りの鉄拳を浴びせようと今頃思っていないだろうか。
されても逆上することなく、淡々と受け止める自信はある。
あるのだが。

俺にとって彼女は姿形のみならず心も美しくて優しい存在。
この手で穢したけれど、一度だって気持ちが変わったことはない。
それを壊されたくなかった。
もう二度と会えないのだから。


自分の思いに捕らわれ、彼女の気持ちも何も考えていなかった。
だから気を取り戻した彼女が、急いでパチンコ店に入ったことも知らないし、見つからない俺に焦ってタクシーを拾ったことも知らなかった。
感傷に浸ってゆっくりと繁華街を歩いてから地下鉄に乗った俺よりも早く俺の部屋へ到着したことも。
その姿を目にするまでは。

恐ろしいほどの怒りの表情。
初めて見る姿に、俺は彼女のことを本当は何も知っていなかったのだと気付いた。
学校生活を通して遠くから見つめていた姿以外は。
脅迫して捕らえてからは、快感に溺れるように、何も考えられないように身体を繋ぐだけだった。
だから、知ることが出来なかったのだろう。

美しくて優しくて、すぐに怯えて俺に従ってくれる彼女は、今、玄関の扉の前に立ち鋭い視線で睨み付けていた。
(あぁ、もうここまでか)
理想化していた彼女が崩れていくのが分かった。
でも、それが正しいのだ。
あんなことをされれば誰だって怒るし、殴りたくもなるだろう。
卑怯にも言い逃げしようとする俺を彼女が許せなくても仕方がない。
覚悟を決めた俺は、ゆっくり足を進めた。
さっきまで着ていなかったカーディガンを羽織った彼女の元へと。

淡くて優しい、彼女のような藤色のそれに何度も目をやると、胸の奥から温かい何かが込み上げてくる。
そんな筈はない。そんなことが自分に起こる筈はない、と自分を嗤う。
近付く毎に、彼女が笑顔になっていくような気がして。
甘い夢を見る愚かな自分に自然と涙が零れた。
彼女を幸せにしてくれる人物以外は呼んではならない名前。
それを無意識に呟くほどに甘い幻がそこに待っていた。
「莉子」
目を瞠ってこっちを見ている彼女を幻だと断定しながら、俺は覚悟を決めて足を止めた。




【 鈍い光 】

腰を抱き寄せると、嫌がるように小さく首を振った。
いつものことだから何とも思わない。俺から求められることは彼女にとって悪夢なのだから。
適度に肉付きの良い脚が美味そうだった。
細い棒の脚とは違う女らしさに手が自然と伸びてしまう。
彼女の全てが俺を魅了していた。
好きになると、誰もがこんな感情を抱くのだろうか。


野獣のように襲い掛かることも出来たが、俺は自重することを己に課していた。
最初の時はともかく、今は彼女にも快楽を与えたかったのだ。
慣れる毎に戸惑う彼女も可愛かったが、もっと触って欲しい、貫いて欲しいと目で訴える彼女には逆らえないものがある。
秘密の関係を結んでいる俺たちだが、そこから逃げたいと常に彼女は望んでいた。
嫌いな男に唇を奪われることも、欲情して身体を弄られることも、自ら吐精を望むことも何もかもが嫌で堪らないのだろう。
気持ちは理解出来るが、それを許すつもりはなかった。
憎まれても、殺されても絶対に逃がさない。
彼女は俺のモノなのだから。


兄に誘われ、嫌々ながら付いて行った夏祭り。
友人を見つけた兄は俺に別れを言うと、さっさと屋台の群れに喜び勇んで飛び込んでいった。
顔も性格も似ていない兄だが、楽しい時に楽しい表情を浮かべることが出来るのは羨ましい限りだ。
俺にも学校での友人が大勢いるが、どうも俺はとっつき難い人間だと思われているようだ。
似たような態度や口調の仲間だけが自然と周りに集まり、彼らといると喋ることも少なくて余計に無口になってしまった。
今も、同級生や下級生の顔を何人も見たが、誰も声を掛けては来なかった。
仲の良い友人だちの姿を見つけられず、俺はそろそろ帰るかと出口へ向かった。
そこで見てしまったのは、この世で一番見たくないものだった。


中学時代から何故か俺の目を惹いていた少女が、すこしだけ背の高い少年の横で微笑んでいた。
相手の少年がイトコだと知ってはいたが、胸がムカムカしてくる。
横恋慕とはこういうことなのか、近くまで行って殴ってやりたいと思った。
だが、彼女があのイトコを好きだと言うなら、それはそれで仕方ない。
告白もしていない俺に何が出来るというのか。
喋ったことさえ数回という少なさで、多分、彼女は俺のことなど知らないに違いない。
グっと拳を握った俺は、このままだと騒ぎを起こしてしまうと、踵を返して別の出口を捜したのだった。


学内で見る彼女は、いつも大勢の仲間と一緒に居た。
それでも、中学からストーカーさながらに見ていた俺には、いつ彼女が一人になるのか分かっていた。
悪いことをするつもりはなかった。
ただ、彼女と一度でいいから二人きりになってみたい。
俺に微笑む姿を見てみたい。そう思っていたのだ。
(こんなこと言っても誰も信じないだろうな)
たとえ二人きりになれても、すぐに逃げられるに決まっている。
彼女と俺には共通する話題などないのだから。
甘い匂いがするだろう身体に触れることさえ夢のまた夢で。
手が触れ合うことさえないと思っていた。
あの日までは。


「お、小木、ちょうどいいところに。悪いっ、この鍵、職員室に戻してくれないかっ。僕、今担任に呼ばれて急いでるんだよ」
呼び止められて振り向くと、友人が俺を手招いていた。
「これ、医師(せんせい)が休みで僕が預かっててさ。保健室のだから失くさないでくれ。じゃあ、頼んだっ」
忙しそうに走っていく友人は保健部員だ。その後姿を見ながら、俺はある計画を思い浮かべていた。
一度、真剣に考えたことのある黒い計画。
やり遂げるには、まず誰もいない、そして鍵の掛かる部屋が必要だった。
それが、今、俺の手の中にある。
鈍い光を放って。


夏祭り以降、あの光景がずっと頭を離れなかった。
仲の良いイトコと彼女がセックスしている、そんな嫌な妄想が。
あり得ないと分かってはいても消えない映像に苛々していたのも事実だ。
だが、それだけでは何も動かなかっただろう。この鍵が手に入らない限りは。
ジっと手の中のモノを睨みつける。
これからお前はそれを実行するのか、と。
本当にそれで後悔しないのか、と。
まず間違いなく後悔するだろう。彼女の為に。
あんなことをしなければ良かったと。
それでも、この好機を逃すことは出来なかった。


震える唇を啄ばみ、優しく舌を差し入れると、彼女が辛そうに目を眇めた。
そんな表情は見たくない。そう思った俺は勃ち上がった乳首を指の腹で弄り回してやった。
途端に嬌声を上げた彼女にホっとする。
モジモジと下半身を揺らし始めて脚を擦り付けてきた。
無意識なのだろう、普段の彼女なら絶対にしない行為だ。
「ひゃいいいいい……っ。も、もう、無理っ、無理なのぉ……。イカせてぇっ、あぁっ、ああぁ~っ」
イキたくて涙交じりに続きを懇願する視線が心地良かった。
欲しがる彼女が可愛くて、唇を塞ぎ、乳首を弄りながら下腹部へと手を伸ばすと彼女が喜ぶ膣壷を指で弄ってやる。
「イヤっ、イヤですっ。も、お願いっ、小木くんっ。ゆ、許し、てぇ~~」
首を振って全てから逃げようと足掻く彼女が愛しくて、その唇から出る俺の名前にうっとりと酔い痴れる。
彼女の伸ばされた手に微笑んだ俺は、ゆっくりと望みのモノを彼女の望む場所へと押し当てていった。




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