『掌中の珠』   第伍話   初出-2009.10.20


相変わらず無表情のまま、それでも多少は気にしていることを夫はまた尋ねて来た。
「利貴は、まだアレに飽きんのか?」
覚えているくせに頑なに名前を呼ばないのがその証拠だった。
勿論、あくまで多少しか気にしていないので、呼ぶ価値もないと思っているのだろう。

この夫にとって大事なのは家名と会社と、妻である私だった。
両親のことも息子のことも普段は全く気にする必要を感じないという。
「生きているなら何も問題ない」
今回の件は、会社に影響を及ぼす程ではないし、夫の父親も鷹揚な態度で処理を進めていた。
それでも夫が気にしているのは、息子の利貴しか跡継ぎがおらず、出来れば家名と仕事の為になる女性をこの家の嫁として迎えたいからだ。
理奈にしてみれば馬鹿馬鹿しくて笑ってしまう理由だ。

そもそも、利貴はあの娘を妻に迎えると決めているし、すでにその為に周囲を固めていると連絡が入っていた。
当然、義父にも夫にも其々報告が詳細に届いているに違いない。
あの息子のことだから、大量のレポートを課題のように淡々と送り付けていてもおかしくなかった。
それでも夫が返事を待っているから、拗ねない内に、と理奈は明るく答えることにした。
「ええ。昨日も私が彼女と庭で楽しくお茶を飲んでいたら、いきなり現れて連れて行こうとするのよ。私、思わず咲姫さんの腕を掴んで引き留めちゃったわ」
あの時の息子ったら、と今思い出しても吹き出してしまう。
「フフっ。そしたら彼女はオロオロするし、利貴は苦み虫を噛み砕いた顔で私を見るしで。本当に楽しかったわ」
貴方にも見せたかった、そう笑って様子を教えたのに、夫は昨日の息子と全く同じ表情を浮かべていた。
「アレは親父を脅迫した奴の孫なんだぞ! 大体、メイドとして扱き使うつもりで利貴に引き渡したんじゃなかったのか?」
ジロっと睨まれてしまい、クスクス笑っていた理奈は、困った人だわねぇと夫を見つめたのだった。

どう夫が反対しようが、これはもうなるようにしかならないし、私達全員が共犯者なのだ。
咲姫の本来歩いたであろう人生を壊した者達には責任がある。
「もうこうなったら仕方がないでしょ。初めて利貴が私達に逆らって欲しがった娘なのよ? 貴方、ちゃんと利貴の目をご覧になった?」
本気で反対するなら、もっと遥か昔、そう息子が小学2年生まで遡る必要があるだろう。
でもそれを知っているのは、私と夫の父親のみ。もう誰もあんな些細な行事で息子が咲姫に執着したなんて覚えていない。
つい最近、何故か急に激しい執着を覚えたと思っている筈だ。
「ハッキリ書いてあったじゃありませんか。絶対離さないって」
ソファに座りムスッとして新聞を見ている(素振りの)夫に近付くと、上から覗き込んで再度説得を試みる。
「一目惚れって言うのかしらね。・・・祖父を思って自分を頼ってきたあの娘を欲しくなったんですってよ」
バレない限りはこの理由で押し通せるだろう。

「私を強引な手段で婚約者から奪った貴方と同じ。ねぇ、どこかの誰かさん?」
茶化して微笑む私を見ながら、更にムッとしたらしい夫が黙り込んだ。
理奈は、いい機会だわ、と畳み掛けるように言葉を繋いでいく。
「もう、ほら、貴方。いい加減に機嫌を直して頂戴な。ハンサムな顔に皺を寄せないで。貴方にそっくりな利貴が簡単に手放すとは思ってないでしょう? 」
夫にはどうしても咲姫を認めてもらうしかない。
そうしなければ利貴はあっさりこの家を捨て出て行くに違いない。
「ね、今度の休暇にでも家族で旅行に行きましょうよ。一度あの娘と一緒に過ごせば、どんな性格なのか、いかに利貴が大事にしてるかが分かるわ」
ジロっと恐い顔で睨まれるが、理奈には全然恐くない。
何といっても中学卒業と同時に無理矢理この家に攫われ、この夫に縛られ続けてきたのだから。

そう、今の舅と姑とも初めから仲が良かったわけではない。
時間が、何より会って話してお互いの人間性を確認しなくては何も進まないのだ。
16歳になる前に利貴を出産した。
どうやって育てればいいのか産まれる前からいろいろ悩み、それでも大切に一生懸命育てるつもりでいたというのに。
この自分勝手な夫は私から子供を取り上げて姑に育てさせようとし、私を心から怒らせたのだ。
泣いて夫に抵抗し、閉じ込められた部屋を抜け出して(椅子で窓を割った)、姑から利貴を取り戻した。
そのまま屋敷を出ようとしたけれど、結局、門に辿り着く前に使用人達に捕まってしまい、連れ戻されてしまった。
でもその事がきっかけで、舅達は私が夫に取り入ったのでも、子育てを放棄した訳でもないと理解してくれたのだった。

利貴を私から取り上げた理由を問われた夫は、理解不能な言葉で返して来た。
「何故、自分のモノを誰かと共有する必要がある?」
いや、その誰かはあんたの子でしょうがっ、と普段の言葉遣いも忘れて叫びそうになった。
呆然とする私の隣で、同様に呆れる義父と、頭を抱えて椅子にグッタリ座り込んだ義母の姿があった。
ベビーベッドに横たえた利貴はスヤスヤと眠っていて、出来れば私もその隣で現実逃避させて欲しい。

それから一時間以上、利貴は自分の子供だろう、自分達で育てなさい、と夫とその両親が言い合いが続いた。
勿論、夫は意見を曲げなかった。
「必要だから妊娠させたが、二度目はない。・・・だからお父さん達で死なないよう育てて下さい」
「貴方っ! 言い方ってものがあるでしょうっ」
妊娠中に何度も夫に二度目の妊娠はない、と宣言されていたから私は諦めているけれど、義父達がブルブルと身体を震わせ始めたのに焦ってしまう。
どんな時でも冷静沈着と言われる義父が声を荒げる場面なんて見たくなかった。
けれど、もしかしたらこの夫は若い頃から義父を悩ませていて、その所為で義父は理性を保つ為にあまり喋らないのかも知れない、と思った。

協力的になってくれた夫の両親と私で相談し、夫が会社に出勤している間は私が利貴の世話をすることになった。
夜は夫の両親に預けて教育をお願いし、日曜祭日は夫の隙を見て一緒に遊びに連れて行くことにした。
(勿論、夫の意見なんて無視よ。当然ね)
毎日毎日、順調に成長していく利貴を見ているのは楽しくて幸せだったのに。
やがて、どこか人を突き放すような態度を垣間見せるようになっていった。
寂しい思いをさせた私の所為だ、と今でも後悔し不憫に思っていたけれど・・・。
まさか咲姫に対して、あんな酷いことをしているなんて。
(えぇ、えぇ。利貴はやっぱりこの夫の子よ。そっくり。そ~~っくりよ)
別に歴史なんて繰り返さなくていいのに、何故全く同じことをするんだろう。

何も欲しがらない、望まない。そんな利貴が、あの日初めて我が儘を言ってきた。
きっと、それが嬉しかったのだ。
ようやく幼い頃の利貴が戻って来たと思ったのに。
執着とは本当に恐ろしいものだ。
こっそり舅が教えてくれなければ、これが利貴の初恋だと勘違いしただろう。
いえ、初恋には間違いないけれど。
舅の長年の調査結果には、はっきりきっぱりとストーカーしている、と書かれていたという。
(というか、知っていたなら教えて欲しかったです。お義父さん)
小学2年生の初恋。確かに言葉だけは美しかった。

小学校の低学年であっても、実らないことに気付いたら普通は諦めると思う。
相手は同じ男の子なんだから。
今みたいに、多少の寛容がある訳じゃないし、悲しいけれど今だって偏見は付きまとうのだ。
それがなのに。この息子は頭のネジが間違って止まっているのではないだろうか。
まさか、長年のストーカー相手が事故に遭ったからって、その検査結果を大金と地位を与えて買い取るなんて。
検査結果を見た息子は、間違いなく喜んだに違いない。
なぜなら合法で結婚出来る、と国が保証したのも同然なのだから。

咲姫の祖父の愚かな行為がなくても、きっと手に入るよう策を練っていたとは思う。
でも、それは一生を縛り付けるものではなかった筈だ。
(ゴメンなさいね、咲姫さん。でも、秘密は絶対守るし、息子の執着は生涯続くから。続かなかったら殺してもいいわよ)
一生懸命に女性らしくあろうと努力している姿を見ても、夫の心には響かないかも知れない。
興味ないこと、自分の損得に関係ないことには指一本動かさないから。

だけど、夫には悪いけれど、咲姫は早い段階で子供を妊娠するだろうから、この家の問題として正面から向き合う日がきっと来るだろう。
早めに結婚式を挙げるか、籍に入れないと、あの利貴の策略で妊娠報告が先に入ってしまう。
調査結果によると子供は作れる、と利貴は断言していたし、駄目でも養子を取って咲姫に育てさせると言っていたからだ。
外国に住んでいる義妹達には子供が複数いるし、いざとなったら血統に拘る必要もない。
(だって、このまま咲姫が産んだら、その子も強い執着心を持つかも知れない。それって怖くない? 三代連続よ。まあ、流石にそれはないと信じたいけど)

どんな条件を出したのか。舅が裏で一枚噛んでいるのだろう、咲姫包囲網が恐ろしいほど早く終わっていた。
私にさえ全てが事後報告で、無視された形の夫の怒りは凄かった。
(宥めるのが大変だったんだから。もう、本当に心臓に悪いったら)
未だにブツブツ文句を言う夫だけれど、家族中が咲姫の味方だから、そのうち諦めるでしょう。
(というか、半分もう諦めているみたいだけど)
私達は責任を持たなくてはならないのだ。
舅は未来のひ孫の為に、私は我が子の為に。
他人の一生を狂わせて、この一族で囲い込んだのだから。

咲姫自身はとても良い娘で、夫以外とは既に打ち解けている。すでに義妹達からもカードが届いているようだ。
私が少しでも印象を良くしようと話した利貴の幼少時代も黙って聞いてくれていた。
感想は、ちょっとズレた方向にいってしまったけれど。
「旦那様は、今でも性格変わってないんですか? それは、・・・ちょっと困りますね。聞けば聞くほど二人ってそっくりですから」
(ええ、まあ。・・・確かに)
将来が不安です、と呟かれたから、私もよ、とつい言いそうになり焦ってしまった。

咲姫の方から被害届を出すというなら、一緒に付いていくし、当然彼女の弁護に全力を尽くしてみせると一族で話はまとまっていた。
でもそれは、心のどこかで身体の問題を公にしたくない彼女が絶対に訴えない、と分かっていたからだろう。
私だって、自分の体験があるから咲姫の気持ちをこれ以上かき乱したくはなかった。
夫に攫われ、妊娠した時も逃げることは恥だと思ったし、出産してしまったら今更訴えても誰も請け合ってくれないと思った。
ニュースや雑誌で世間から面白おかしくオモチャにされるのも真っ平で、今日まで来てしまったのだから。

新聞をテーブルに置き、私を抱き寄せる夫に見えないよう小さく溜息を吐いた。
夫を説得するのに、あとどれ程の時間が掛かるのだろうか。
当分、夫の機嫌は治らないだろうし、その被害を被る人達が不憫で仕方ない。
(今日も良い天気ね。あとで姑を誘ってお買い物にでも行くことにしよう)
自分がその被害者のトップだと知っている理奈は、これまで通り現実逃避したのだった。
 
▲▲▲

「咲姫様。お寛ぎのところを申し訳ありません。お客様がお見えです」
子供達と一緒に花壇で花の種を植えていると、狭桐さんがやって来てそう言った。
(・・・お客? 一体、誰が?)
予定にない来客、それも私へお客が来たのは初めてだった。
元気に手を振る子供達に私も手を振り返して別れると、屋敷に入り大急ぎで部屋へと戻って服を着替えていく。
こういう場合、美耶子さんが私の仕度を手伝ってくれるのだけれど、嫌がる私に根負けして最近は自分でさせてくれるようになっていた。

遅くなってしまった、と小走りで客間に向かった。
その途中、美耶子さんがお茶を出して戻って来たところに丁度出くわしたので、お客様の素性を尋ねてみた。
「若様の御友人で、内洞家の洵季さまです」
(・・・え~と・・・。・・・・・・ポンっ!)
やっと顔が浮かんできた。
「高校の副会長ね」
(でも、・・・何で私に?)
会ったのは一度きり。何の用だろうと思った。

理由が分からず首を傾げる私を見ながら、
「もうお一方、女性をお連れですよ」
何故か苦笑しながら美耶子さんは下がっていった。
訝りながらも歩いて行くと、女中頭の志甫 (しほ)さん が客間の少し手前で私を待っていてくれた。
黙って私の服装をチェックし、髪形、アクセサリーも素早く確認していく。
どうやら満足してくれたらしい。ニッコリ笑って先導してくれた。
コンコンっと扉を叩き、部屋の中へと志甫さんが私を促した。
その部屋は、高い場所から明るい光が幾重にも差し込み、居心地のいい空間だと誰もが思う設計になっていた。
各所に嵌められている、もう手に入らないという絵画や美しいステンドグラスが荘厳な雰囲気を醸し出しており、私も利貴さんに内緒で

特別なお客様に提供されるという部屋のわりには、調度品や家具は殆ど置いていないのが不思議だった。
大きな物といえば、二脚の大型ソファと長いテーブルがあるだけだ。
薄いカーテンで仕切られた寝室と化粧室などは入り口から見えないように設計されており、ここにも家具はベッドとテーブルぐらいしかなかった。
不思議に思って、亜耶子さんに尋ねたことがある。
(彼女は屋敷中を探険しており、知らない部屋などない、と豪語していたからだ)
答えは。
「実は、この部屋の隣室と見えない仕切りで繋がってて、隣室全てをクローゼットとして使用しているからです」
何の疑問も持っていない顔で告げらたけれど、いや隣室全てを物入に使っているという事実に驚くしかない。
(おかしいだろう? じゃないっ、おかしいでしょう、それ?)
「敷地が余ってるからじゃないの?」
思わず地が出たのか、子供っぽく続けられた言葉も実にあっさりで、ハアとしか言えなかった。 
そんな部屋に、見覚えのある男性が小柄な女性の肩を抱いてゆったり座っていた。
(何だか、依然と違って尊大な感じがするんだけど・・・)
チャラ男はどこへ消えたのだろうか。

何だか、利貴さんのような気配が目前の男から漂って来る。
けれど、外見だけなら、どう見てもあの時のチャラ男さんだった。
「内洞先輩。お待たせして申し訳ありません」
内洞に遅くなったことを謝罪し、もう一脚のソファに腰掛ける。
「ああ。久しぶりだね。・・・ふう~ん? しばらく見ないうちに、随分イイ女になったね、咲姫ちゃん」
言葉は厭らしかったが、表情は至って普通だ。
(本当に感心して言葉になったって感じ? でも、どこが?)
何とも言いようがなくて、隣の女性に目を向けた。
「ああ、コレかい? 実は、・・・今日訪ねたのはね、君とコレを引き合わせる為なんだ。どうかな、仲良くなれそう?」
唐突な言葉の真意が分からない。
(・・・えっ?)
相手の女性もビックリして内洞を見ていた。

いや、そんなことより・・・。
(あのぉ、何だってその人の腰をこれ見よがしに引き寄せる訳? ほらぁ、真っ赤になって離れようと・・・)
逃げる女性を内洞が抱き留めていた。
「こぉら。動くなって。・・・ほら、ちゃんとお前の顔を彼女に見せな」
グイっと此方へ向けられた顔は予想より随分若い。
(もしかして、・・・中学生?)
まさか、と内洞を伺い見ると。
「ん? 凄いな、咲姫ちゃん。気付いた? そう、コレはまだ中2なんだ」
そう言いながら、彼女の胸を片手で鷲掴みし喘がせていく。
「俺ので、名前は由宇。いつもは高1ぐらいに見られるんだぜ」
喘ぐ彼女を無視して、私に普通に紹介を続ける内洞に恐怖を感じた。
「せ、先輩っ。・・・まさか、中学生に・・・」
鷲掴みされている彼女の胸。その先端が尖っているのが服の上からも判った。

確かに今は初夏だけど、そんなシ-スルーの服には早いと思う。多分、ワザとそんな服を着せてるんだろう。
「あいつは変態だぞ」
内洞と初めて会った夜、眠る間際に利貴さんが教えてくれた時は、てっきり性質の悪い冗談だと思っていたのに。
「小6の時からコレは俺のモノなんだ。可愛いだろう? 誰も近付けたくないから学校にも行かせてねえしな」
さらっと怖いことを言う。
「俺の屋敷の奥に閉じ込めて、偶にこうして連れ出してやってんのさ。まっ、今の咲姫ちゃんと同じ待遇ってわけだ」
「・・・」
何か言葉を返したかったけれど、内洞の子供っぽい言動の陰に見え隠れする利貴さんと同じ気配が私を躊躇させていた。
(いや、それはちょっと違うような。でも、確かに・・・)
ここで肯定したら、この生活に慣れ始めている自分に憐れみを覚えそうで怖い。

学校で内洞に会った次の日から、利貴さんの指示で敷地内から出ないよう厳命されていた。
勉強を教えてもらう為、何人もの講師が日中に招かれるようになり、ズル休みを楽しもうと考えていた自分の浅はかさに撃沈するしかない。
(そうだよね、世の中そんなに甘くないってか~~。はぁっ)
習い事の先生達もこの機会に淑女になる勉強を詰め込ませようと訪れる回数を増やしていた。
それでも、出入りの職人さんや狭桐さんにお願いして、簡単な仕事を手伝わせてもらい、リフレッシュする時間もあった。
利貴さんのお母さん、理奈さんも (こう呼ばないと怒られる) 一緒に出掛けましょうよ、と本邸から散歩がてら歩いて来ては誘ってくれるのだ。
最近は日参されるので、とうとう利貴さんに釘を刺されていた。
(もっと優しく言えばいいのに。・・・まあ、理奈さんも負けてなかったら、あれが2人の日常なのかな)
若々しい理奈さんは、まだ30代半ばだから利貴さんと並び立つと姉弟にしか見えない。
「お姉さんと呼んでもいいわよ」
自分の息子の行為を謝ってくれたし、今でも私の境遇を改善しようと努力してくれているのを知っていた。

籠の鳥になって3ヶ月。高校に行かなくなってからも3週間が過ぎていたが、以前ほど辛くはなかった。
少なくとも簡単に捨てられる玩具ではないと知ったから。
ご両親に怒られても、・・・私を傍から離さないと、2人に話しているのを扉の外で聞いてしまったから。
(だから、今はここで暮らしたい。あの寂しい人の傍で・・・)
何故か、利貴さんは家族と長時間一緒に居ることに苦痛を覚えるらしいのだ。
私が連行される前、使用人達に自分の部屋で同居すると言った時には、皆が内心で驚いていたという。


利貴さんのことを考えている間も内洞のお喋りは続いていたようだ。
「・・・で、この間、咲姫ちゃんの話になってさ。人生長いし、少しは息抜きも与えるべきかって聞かれたわけ。俺は閉じ込めて満足するほうだからね」
ちゃんと聞いていなかったけれど、つまり、この二人は勝手に私の話を相談している、と。
「いやぁ、まさか、そんなこと聞かれるなんて想定外。で、お前の好きにしたらって答えたんだよね。そしたら、安全なのを選んで与えるかって奴が言うからさ」
与えるって何言ってんの、と怒りがこみ上げていた。
「なら、俺んとこの由宇と会わせてもいいぜってなったわけ」
私も相手も人間で、そんなにポンポン勝手に右や左に動かすなんてふざけんな、とフルフル震えていたのに。
(あぁ、やっぱり彼女も呆れて見てるじゃない)
私も彼女も、ハッキリと呆れた顔を内洞に見せたっていうのに。

この男ときたら。
「・・・悪い、咲姫ちゃん。俺達、帰るわ」
ソファを蹴倒す勢いで立ち上がった内洞は、驚く由宇を促して、足早に扉の方へと歩き出してしまった。
「えっ! ・・・あ、あのっ、先輩?」
何が何やらわからず、オロオロして後ろを付いていく私の代わりに、お客様を玄関へと案内する為に現れた狭桐さんが彼に尋ねてくれた。
返ってきたのはトンデモナイ答え。
曰く、欲情しちまったとのこと。
(・・・あぁ。そう・・・ですか・・・)
引き止める気も失せた私に構わず、内洞は由宇を連れてサッサと帰って行った。

疲れた私がさっきの部屋でソファに座っていたら、玄関から戻ってきた狭桐さんが教えてくれた。
「待たせていた車にお乗りになり、正門を出た、と報告が入りました」
「困った人だよね」
それ以外言いようもなく、狭桐さんに力なく笑い掛ける。
珍しく狭桐さんも小さく苦笑していた。
「咲姫様。そろそろ大旦那様がお迎えに来らる時刻です。着付けに時間を取られますから準備に入って下さい。すぐに志甫をお部屋へ伺わせます」
その言葉に私は大急ぎで立ち上がった。
(うわっ、・・・忘れてたっ!)
コクっと頷いて部屋へとダッシュする私に、後ろから「淑女は?」と声が掛かる。
ピタッと足を止めて振り返り、狭桐さんに引き攣り笑いを見せて答えた。
「走りません」
仕方なげに笑ってくれる狭桐さんを置いて、ゆったりと、でも早足で、狭桐さんが見えなくなってからは走って部屋へと向かった。

擦れ違う度に使用人にお辞儀され、(走りつつ)会釈しながら進んで行く。
今日は、大旦那様が招待された飛行船のパーティに理奈さんと一緒に連れて行ってもらうことになっていた。
利貴さんと旦那様は危険だと猛反対だったけれど、理奈さんの言葉に黙ったという。
「あら、私、もっと危ない人と毎日暮らしているけど、こうして無事に生きているわよ。だから、咲姫さんも大丈夫よ、同じだから」
理奈さんを本当に尊敬出来るのは、こんな時だ。
だって、自分の意見に従わせるのが当然、という男性をやり込めて、生き残っているのだから。

私に個人的脅迫(性行為)で出発を止めようと画策した利貴さんは、寸前で理奈さんに呼び出されて叱られていた。
「利貴さん。この3週間、一度も咲姫さんを屋敷の外に連れ出してないんですって? 籠の中に閉じ込めて可愛い鳥を衰弱死させたいのかしら? 」
一緒に理奈さんの言葉を聞いていた私は、尊敬と同時にあまり刺激しないで、という両方の気持ちがせめぎ合っていた。
「このパーティに出席させないって言うのなら、お義父様に頼んで鳥を海外の地に解き放つわよ?」
ムスっと黙ってしまった利貴さんが、少しだけ、ほんの少しだけ、可哀相だった。

そうやって反対を押し切ってのイベント参加に、夕べから楽しみで仕方がなかったのに、すっかり忘れていた。
ましてや、文句を言いつつも朝の出掛けに私の着物を選んで行った利貴さんに胸がホワンっと熱くなったのに。
あの時の利貴さんは何処か心配そうで、それで私の胸が何故か余計に高まって、これが絆されるってことなのかも、って変な単語まで出て来て困ってしまった。
どうしよう、私だけ楽しんだら駄目だよね。心配してくれた利貴さんにも何かしてあげたい。
(今夜は着物のまま彼をお出迎えして、脱がせてもらうっていうのはどうかな? ・・・普通かな)
やだなぁ、知らぬ間に私まで内洞先輩に煽られてるじゃない、と思った。
(でも、・・・いいよね? 偶には私から・・・誘っても・・・)
いつの間にか部屋の前で立ち止まっていた自分に気付き、顔を赤く染めた。
(あぅ~、頬が熱いっ。どうしよう! 私、オカシクなってるぅ~~)
しゃがみ込んだ私は頭を抱えて、自分の考えを振り払おうとした。

志甫さんが声を掛けるまで床に蹲りブツブツと呟く奇妙な姿を美耶子さんが写真に撮り、携帯で利貴さんに送っていたと知るのは、それから2日経ってからだった。

▲▲▲

私の胸を揉みながら、なるほどな、と男は笑い始めた。
怪訝そうな私に見上げられた男は、しばらくしてそれに気が付いたらしい。
「ククっ。・・・ああ、悪いな、由宇。別にお前を蔑ろにしたわけじゃないぞ。ただ、やっと胸のモヤモヤが何だったのか判ったからさ」
ムニュ、グチャっと成長途中の胸を鷲掴みにされ、痛くて涙が零れた。
「悪い、悪い。もっと、優しく、な。・・・結構、大きくなってきたじゃないか」
嬉しそうな男の視線に、真っ赤になって俯く。
「そう、恥ずかしがるなって。よし、一つ面白い話をしてやろう」
そう言って、私の右の乳頭に突き刺さっているピアスをペロっと舐めてみせる。
「ひゃぁあっ!」
何度もされた行為なのに、感じて疼く私の・・・。

息が上がった私を宥めるように、男は舌の攻撃を頬へと移していく。
「5日前に連れて行った屋敷で女と会っただろう? アレは俺の幼馴染が強引にモノにした女でさ。フルネームを聞いた時から何だか覚えがあるなぁとは思ってたんだが」
面白そうな男の口調で、本気で楽しい話題なのだと判断出来た。
ここを間違うと、この男の場合とても面倒になるのだ。主に私が迷惑を受けてしまう。
「まさか、ヤツが初恋を実らせるとはなぁ」
不思議そうな顔に、私の方が不思議になる。
「よく分からないけど、普通は初恋を実らせようとするんじゃないの?」
自身のことを「私の男」だという洵季がクスクス笑って私を見ていた。

「まぁ、お互いが男女なら、すんなりといくかもな。ところがヤツの、利貴の初恋は男の子だったわけだ、これが」
「男の子? ・・・でも、あの人、女性だったよね?」
仕草や言葉遣いを思い出す。確かに胸は小さかったけれど。
「ああ、女だな。ま、取り敢えず今それは置いとけ。それでだ、お前、幼稚園の頃、小学生と文通する授業なかったか? ・・・ない?そっか」
懐かしそうな目とはこういうことなんだろうか。珍しく洵季が穏やかな表情を晒していた。
普段は私を見る目が捕食者のソレで、どんなに穏やかに見えても油断など出来ない男だった。
「俺らの時には何のメリットがあるのか、近くの幼稚園児と文通することになってさ」
その流れでいくと、もしかして・・・。
「おっ、分かったか? そうなんだよ、アイツ、その手紙が来るのを楽しみにしててさ。嬉しそうだったんだよな。多分、無邪気で無心な相手と話すの初めてだったんだろうな」
こうやって聞いていると、俄かに信じられない幼馴染という存在を認めるしかなかった。
てっきり、腹の中では競争相手として見ているのだと思っていたのに。

「それでだ、当然のことだが数ヶ月でその授業は終わっちまうわけ。アイツ、どうしたと思う?」
そう聞かれても困ってしまう。でも、普通はそれっきりだろう。
違うの?と逆に聞いてみた。すると、クククっと洵季が笑い始めた。
「?」
(何? おかしいこと言った?)
しばらく笑い続ける彼をじっと見詰めていると、ようやく笑いが収まったのだろう、一言だけ呟いた。
「ストーカー」
意味が分からず、私の疑問に返って来た言葉をそのまま繰り返した。
「ストーカー?」
そうしてやっと気が付いた。でも。
(えぇ~~! うそっ、有り得ない! ってか、怖い!)
その単語の意味に、思わず身体が竦んだ。

洵季の幼馴染だよね、そして当時小学2年生、だよね。と何度も何度も脳裏でリピートされていく。
「そうだよなぁ、引くよな、普通。でも、アイツまじでストーカーになっちまったんだよ。本人は小2の男の子。相手は、幼稚園年長組の男の子。しゃれにならねえ」
そう言いながら、とても楽しそうな男が怖かった。だって、それって、そんな行為を楽しい話と断言出来る男って・・・。
「本気も本気。実家で使ってる探偵社使って調べまくってたんだよな、当時」
「当時? ・・・ってことは、最近は違ったの?」
「おう。実家の権力者、祖父にバレてな。泣く泣く諦めた、と思ってたんだがな。どうやら、まだ調べてたのかもな?」
信じられなかった。そんな人が傍にいるなんて。
(うぅ~、そんな変な人の屋敷には行きたくないよぉ~。あの女の人は優しくて大人しい感じで好感が持てたけど。うん、ストーカーには遭いたくない)
「だって、私の元ストーカーが目の前に居るし」
はっきり言葉に出してしまい、慌てる私を男はいつものように笑って許してくれた。
何故だか、昔からこの男は自分がストーカーだと言われて詰られても一度も怒ったことはなかった。
それ以外の言動は怒りの沸点が難しくて未だに恐る恐るの対応しか出来ないのに。
そんなことをつらつらと考えていたら、洵季が爆弾発言をした。
「お前、さっき俺が言ったこと、もう忘れてるだろ? アイツは初恋を実らせたって言っただろうが。・・・アレは女に変えられた、元は男だ」
楽しそうに笑う洵季。呆然となる私。
(うっそぉ~! あんなに女らしかったのに? って、違うだろ! 問題は・・・)
ニヤニヤと私を見る目前の男。この男と同じ人種がもう1人──。

「人の性別、勝手に変える男が2人もいるの~? しかも、しかも、友人同士~~っ?」
サーっと顔面蒼白になる私を、楽しそうに洵季が見つめて囁いてくる。
「そう。お前の傍に2人もストーカーが居るわけ。面白いだろ?」
こればかりはブンブンと頭を振って否定した。
(イヤだっ! 冗談じゃない! 絶対にもう二度とあの屋敷には行かないっ!)
決意を新たにしようと拳を振り上げる寸前で、私の男だと自称する洵季がベッドへと押し倒してきた。
「クク。安心しろって。其々、対象は1人なんだ。なあ、俺の由宇」
そう言って、私の震えて縮こまっているペニスに手を伸ばし、ゆっくりと撫で回し始める。
僕の元ストーカー、勝手に僕の身体を女に改造手術した洵季の手に慣らされ、哀れな生贄になった私は・・・。
止めて、と小さな声で懇願するしか出来ない。

毎夜、繰り返されるのは、信じてはいけない言葉。
「大丈夫だ、逃がさないよ。一生俺に繋げてやるから、安心してね、由宇」
捕獲された時と同じ台詞なのに、最近では頬を染めて頷いてしまうのが怖かった。
「ほら、おいで。由宇は俺だけを見ていればいい。何でも俺がしてあげる」
怖いのに。本当に怖いのに、それでも男の優しさに縋りつき、少しでもその視線を縫い留めようとしてしまう。
与えられる刺激と優しい言葉に騙されていても、愚かな女であることに悦びを感じた瞬間、私は小さく啼いていた。


スポンサードリンク


この広告は一定期間更新がない場合に表示されます。
コンテンツの更新が行われると非表示に戻ります。
また、プレミアムユーザーになると常に非表示になります。