【 空間に二人 】 初出-2012.04.28
『鬼海老の握り』が目前に運ばれて来た。
隣に座っている耕太が姿勢を正すのに気付いて、また海老かと心の中で呟く。
さっきあれだけ大量のボタンエビをしゃぶしゃぶで食べたというのに、また似たようなモノを注文していたとは。
「野菜も食べろよ」
呆れながらもそう告げた私の言葉に彼は無言で頷いた。
どうせ無視するだろうと思っていたら、箸を手に取って体を斜めに動かしていく。
そのまま何の断りもなく、『たこのマリネ』の皿からレタスとトマトを自分の皿へと移してしまった。
「おい、こら」
他人の皿から勝手に持っていくな、そう文句を言いたくてもレタスもトマトも彼の口の中へと次々に消え失せており、彼の標的はすでに鬼海老へと移っていた。
「まったく。・・・野菜サラダを大盛りで追加。コレの前に置いてくれ」
通りかかった店員に告げて彼を振り向くと、抗議するように唇を歪ませていた。
「マナー違反の罰だ。全部食べたらデザートを取ってもいいぞ」
暗に、サラダを残したらデザートを抜かして帰宅すると脅しておく。
「ふわ~いぃ」
仕方なさそうに食べ物を口の中に入れたまま返事をした彼を視線で咎めてから、ノートパソコンの画面に表示させていた案件へと思考を戻した。
自分の持ち物である店で待ち合わせをし、食事をするのは初めてだった。
視察すら部下に任せており、今日も彼が海老を食べたいと言わなければ来ることもなかっただろう。
大学生の彼は年の割には体の線が細く、出会いの時から同居している現在まで食事の量は少なかった。
常々、もう少し太らせようと考えていたのだが、どうやら食事の内容に問題があったらしい。
今日、彼が注文したのは、『海老チリ』、『ボタンエビのしゃぶしゃぶ』、『鬼海老の握り』、『ムール貝のワイン蒸し』、『ホタテの香草焼き』、デザートに『紫芋の大福と抹茶のムース』
対して、私はというと、『マリネ』と『ナムル』、そして『大根の筑前煮』を摘みながら焼酎を楽しんでいた。
普段から野菜を中心とした料理を通いの家政婦に頼んでおり、当然だが同居する彼も同じ食事を摂っていた。
ここまで好みが違うとは思わなかったが、彼の好きな食材も今後は取り入れないとならないようだ。
残念ながら、海老も貝類も大の苦手だから一人分だけ用意させることになるだろう。
最後のデザートを食べ終え、にっこりと笑った彼を促して外で待つように告げた。
私の正体を知らない店員達の様子をさり気無く注視しつつ、改善点を今夜の内にメールしようと思いながら会計を済ませる。
予想していたよりも店にも店員にも問題点は少なかった。勿論、細かい部分は多い。
この店を開いたのは、手頃な土地と資金があったからだ。
ちょうど、入社して3年程度の若い部下の実力を見ようと考えていた時期であり、新たな案件に誰を抜擢するべきか思案していたのだ。
高級料理店ばかりだと視野が狭くなり、いつしか世間の流行から離れてしまう為、時には別の視点で店をだすことも必要だと会議で話し合った後だったことも要因だろう。
来秋から建設が始まる大型プロジェクトに誘われ、最上階に近い場所で店を出すことになっているのだが、そこにはこれまでとは全く違うコンセプトで出店することが決まっていた。
ベテランの部下は別の物件を幾つも抱えており、新たな店には若い感覚が必要となれば、入社数年とはいえ将来の幹部候補の部下には早く育ってもらわなければならない。
そこで意欲的な者の中から数人を選び、比較的自由に店を作らせて出来上がったのが、若者から中年まで気軽に入って来るこの店だったのだ。
マンションまでの帰り道、いかに美味しかったのかを話す耕太に頷きながら車を走らせる。
次の案件は失敗など許されない優良大型物件で、一つ間違えば会社への損失も大きい。
今回の店が繁盛しているとはいえ、内容が違い過ぎている。
もう一店、別のコンセプトで店を任せてみるか、と私は考えていた。
▲
眠そうにベッドの上で欠伸をすると、ようやく同居人の耕太が私の待つリビングへ歩いて来た。
毎日、掃除されている床をペタペタと音を立てて進む彼を可愛いと思う。
生真面目な耕太は、どんなに寝台であられもない格好で喘ごうとも、必ずパジャマを着てからしか眠りに付こうとはしない。
目を擦りながらソファで新聞を読む私の隣に座り、小さな声でおはようと声を掛けて来た。
「遅よう」
もう少しで昼になることを教えるように返した私に、うぅ~と唸る耕太。
それでもまだ寝足りないのだろう、目蓋が下がっていく。
「耕太、寝るな」
「ぅうん、寝てないよ。起きてる」
返事だけは良いのだが、どう見ても眠りに誘われているようだ。
「折角の日曜に、私を一人で過ごさせるのか」
からかうように言ってみたが、耕太は首をガクンと揺らして本格的な眠りに入ってしまった。
「お前なぁ」
気持ち良さそうに眠る人間を起こすのは大人気ないし、何より睡眠不足の原因を作ったのは自分だと知っていた。
「しょうがない、か」
食べ過ぎてお腹が苦しいと嬉しそうに話す耕太が可愛くて、ついつい寝台での運動が普段より激しくなってしまったのだ。
結局、ぐっすりと眠ってしまった耕太を抱き上げて寝台へと戻すと、自分もその隣で読書をすることにした。
穏やかな時間。何も起こらない、誰も入って来ない空間に二人。
その静けさが忙しい日常を忘れさせ、癒してくれる。
「また海老が食べたくなったら言えばいい。食後の運動も込みで付き合ってやる」
私の言葉が聞こえたのか、それとも夢を見ているのか、耕太が寝言を呟いた。
「海老が、海老が追い掛けて来る~~っ。も、もう無理、好きだけど、無理ぃ~~」
イヤイヤするように首を振って夢に抗議する耕太に少し笑って、私は手元の書物へと視線を移した。
『鬼海老の握り』が目前に運ばれて来た。
隣に座っている耕太が姿勢を正すのに気付いて、また海老かと心の中で呟く。
さっきあれだけ大量のボタンエビをしゃぶしゃぶで食べたというのに、また似たようなモノを注文していたとは。
「野菜も食べろよ」
呆れながらもそう告げた私の言葉に彼は無言で頷いた。
どうせ無視するだろうと思っていたら、箸を手に取って体を斜めに動かしていく。
そのまま何の断りもなく、『たこのマリネ』の皿からレタスとトマトを自分の皿へと移してしまった。
「おい、こら」
他人の皿から勝手に持っていくな、そう文句を言いたくてもレタスもトマトも彼の口の中へと次々に消え失せており、彼の標的はすでに鬼海老へと移っていた。
「まったく。・・・野菜サラダを大盛りで追加。コレの前に置いてくれ」
通りかかった店員に告げて彼を振り向くと、抗議するように唇を歪ませていた。
「マナー違反の罰だ。全部食べたらデザートを取ってもいいぞ」
暗に、サラダを残したらデザートを抜かして帰宅すると脅しておく。
「ふわ~いぃ」
仕方なさそうに食べ物を口の中に入れたまま返事をした彼を視線で咎めてから、ノートパソコンの画面に表示させていた案件へと思考を戻した。
自分の持ち物である店で待ち合わせをし、食事をするのは初めてだった。
視察すら部下に任せており、今日も彼が海老を食べたいと言わなければ来ることもなかっただろう。
大学生の彼は年の割には体の線が細く、出会いの時から同居している現在まで食事の量は少なかった。
常々、もう少し太らせようと考えていたのだが、どうやら食事の内容に問題があったらしい。
今日、彼が注文したのは、『海老チリ』、『ボタンエビのしゃぶしゃぶ』、『鬼海老の握り』、『ムール貝のワイン蒸し』、『ホタテの香草焼き』、デザートに『紫芋の大福と抹茶のムース』
対して、私はというと、『マリネ』と『ナムル』、そして『大根の筑前煮』を摘みながら焼酎を楽しんでいた。
普段から野菜を中心とした料理を通いの家政婦に頼んでおり、当然だが同居する彼も同じ食事を摂っていた。
ここまで好みが違うとは思わなかったが、彼の好きな食材も今後は取り入れないとならないようだ。
残念ながら、海老も貝類も大の苦手だから一人分だけ用意させることになるだろう。
最後のデザートを食べ終え、にっこりと笑った彼を促して外で待つように告げた。
私の正体を知らない店員達の様子をさり気無く注視しつつ、改善点を今夜の内にメールしようと思いながら会計を済ませる。
予想していたよりも店にも店員にも問題点は少なかった。勿論、細かい部分は多い。
この店を開いたのは、手頃な土地と資金があったからだ。
ちょうど、入社して3年程度の若い部下の実力を見ようと考えていた時期であり、新たな案件に誰を抜擢するべきか思案していたのだ。
高級料理店ばかりだと視野が狭くなり、いつしか世間の流行から離れてしまう為、時には別の視点で店をだすことも必要だと会議で話し合った後だったことも要因だろう。
来秋から建設が始まる大型プロジェクトに誘われ、最上階に近い場所で店を出すことになっているのだが、そこにはこれまでとは全く違うコンセプトで出店することが決まっていた。
ベテランの部下は別の物件を幾つも抱えており、新たな店には若い感覚が必要となれば、入社数年とはいえ将来の幹部候補の部下には早く育ってもらわなければならない。
そこで意欲的な者の中から数人を選び、比較的自由に店を作らせて出来上がったのが、若者から中年まで気軽に入って来るこの店だったのだ。
マンションまでの帰り道、いかに美味しかったのかを話す耕太に頷きながら車を走らせる。
次の案件は失敗など許されない優良大型物件で、一つ間違えば会社への損失も大きい。
今回の店が繁盛しているとはいえ、内容が違い過ぎている。
もう一店、別のコンセプトで店を任せてみるか、と私は考えていた。
▲
眠そうにベッドの上で欠伸をすると、ようやく同居人の耕太が私の待つリビングへ歩いて来た。
毎日、掃除されている床をペタペタと音を立てて進む彼を可愛いと思う。
生真面目な耕太は、どんなに寝台であられもない格好で喘ごうとも、必ずパジャマを着てからしか眠りに付こうとはしない。
目を擦りながらソファで新聞を読む私の隣に座り、小さな声でおはようと声を掛けて来た。
「遅よう」
もう少しで昼になることを教えるように返した私に、うぅ~と唸る耕太。
それでもまだ寝足りないのだろう、目蓋が下がっていく。
「耕太、寝るな」
「ぅうん、寝てないよ。起きてる」
返事だけは良いのだが、どう見ても眠りに誘われているようだ。
「折角の日曜に、私を一人で過ごさせるのか」
からかうように言ってみたが、耕太は首をガクンと揺らして本格的な眠りに入ってしまった。
「お前なぁ」
気持ち良さそうに眠る人間を起こすのは大人気ないし、何より睡眠不足の原因を作ったのは自分だと知っていた。
「しょうがない、か」
食べ過ぎてお腹が苦しいと嬉しそうに話す耕太が可愛くて、ついつい寝台での運動が普段より激しくなってしまったのだ。
結局、ぐっすりと眠ってしまった耕太を抱き上げて寝台へと戻すと、自分もその隣で読書をすることにした。
穏やかな時間。何も起こらない、誰も入って来ない空間に二人。
その静けさが忙しい日常を忘れさせ、癒してくれる。
「また海老が食べたくなったら言えばいい。食後の運動も込みで付き合ってやる」
私の言葉が聞こえたのか、それとも夢を見ているのか、耕太が寝言を呟いた。
「海老が、海老が追い掛けて来る~~っ。も、もう無理、好きだけど、無理ぃ~~」
イヤイヤするように首を振って夢に抗議する耕太に少し笑って、私は手元の書物へと視線を移した。
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